大病体験記 第4章「そこに在る」06
人生を、思う。
自己実現と愛に関する考えを新たにした彼の心は、ずいぶんと軽やかになった。
「どう生きるか」についての方針が、とてもシンプルに整理できたからだろう。
まず、思春期以降、彼を思い悩ませ続けてきた「自己実現」に対する思い。
自分が自分らしく生きようと願い、行動する限り、自己は自ずから実現する。
つまり、高い収入や社会的地位を求めない限りにおいては、目標設定やその達成への戦略は、それほど重要ではないのだろうな、と思うことにした。
元々、「他者にプラスの影響を与えなければならない」という彼に職業観の実践は、高給取りである必要は全くなく、社会的地位を行使する話でもない。中小企業を支援する会社経営者という現在の肩書で十分だ。
あとは、現在世話になっている家計に恩を返し、娘を大学に出す程度の稼ぎを目指して、やりたい仕事を突き詰めていく、というだけの話だろう。
生き様の全ては、アーカイブとして、心の奥底に、柔らかく温かく降り積もる。
焦りなど無用だ。
より大事になってくるのは、自己実現以外の人生の使い方。
妻や、家族や、友人の幸せに、丁寧に関わっていきたいという願う心の方だろう。
「愛する人を幸せにしたい」という発想は、おそらく傲慢だ。
そう感じてきたからなのか、ただ恥ずかしがりなだけなのか、彼は、「好きだ」という気持ちを愛する人々に表すことを、ためらって生きてきた。
人々はおそらく、「彼がどれほど好いているか」を全く知らないだろう。
だがこれからは、愛する人に幸せでいて欲しいと願う「自己満足」を、もっと素直に表現していこうと、彼は考えている。
それは単なる自己満足なので、相手に何も強制しない。
もちろん、自己犠牲などという崇高な代物でもない。
ただの「おせっかい」。
そのおせっかいに、人生のかなりの部分を費やすのも、悪くない。
老境を控えた彼は、そんな風に思い至った。
「ただ日々を共に過ごす」という、妻や家族や友人との日常に、ちょっとだけ丁寧に、おせっかいというスパイスを加えていきたい。
押し付けでないおせっかいが、少しだけでも愛する人の幸せにつながるなら、それはとても楽しい自己満足の充足になるだろう。
ふう。
彼はようやく、パソコンを閉じた。
さすがに散歩の道すがらでは、ここまで整理できるものではない。
彼が大病から得た所見をメモにまとめるには、半年弱を要した。
季節は秋から冬を巡り、早くも近隣のソメイヨシノが満開を迎えようとする頃。
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