愛のおトク生活

こんにちは、からしたね子です。

初投稿で少し緊張していますが、

読んで良かったと思っていただけるモノを書いていきたいと思います。

今回は「愛」についてです。

いきなりテーマが壮大です。

みなさん「愛」足りてますか?

男女の愛、親子の愛、いろんな愛がありますが、

毎日をより良く生きる愛のカタチを今日は紹介します。


今日みなさんと分かち合いたいことがあります。

興味のある方は続きをお読みください。


思春期の頃などは誰しも、物事がうまくいかない時に

「ひょっとしてすべては無意味なんじゃないか」なんて

哲学的に考えたことがあるんじゃないでしょうか?

若いころそんな風に純粋に悩んでいた私も、

時が流れておばさんになり、

「そんな悠長なこと言ってる場合ではない、とにかくお得な情報を

手に入れなきゃ!」と“得”を探し回るようになってしまいました。

人間は自分の行動に意味づけをしたがる動物です。

「これをやって効果があるのか」

「これは得なのか損なのか」

まさに巷はこういう類の情報であふれています。

でもこれを追いかけるのって結構疲れるもんです。

そこで自分にとっての損得というメガネをいったんはずして、

違う視点で考えてみました。


それは「愛があるかどうか」という新しい基準です。


これに照らし合わせると、表面的にはたいてい損をしますが、

ここはぐっとこらえてメガネをはずします。

そういう基準で自分を見つめると、

自分の損得を優先した「愛のない」行動は、

その時は良くても結果的に罪悪感や悩みをもたらし、

逆に「愛のある」行動は、たとえ自分にとって損ではないかと

思うことであっても、最終的には有意義だと感じていることに気付きます。


そもそも損得というのは、競争に基づく考え方です。

勝者の裏側には敗者がいる。

一つしかないパイのうち、大きな一切れを相手がとると、

自分の分は減って不公平になるので、

相手にはこれ以上パイが渡らないようにする。

ある意味当然の考え方であり、みな幼いころから

無意識に植えつけられた感覚ではないでしょうか。

世の中のほとんどの人は、

この子どもじみた争いを延々と繰り返しているのです。

一方「愛のある」行動は、パイをちょうど半分にします。

自分の分を少なくするんじゃありません。半分です。

相手の気持ちを思いやった上で自分も満たす、最適解を見つける作業です。

Win-Winの関係というのは、「愛のある」行動の先にあります。


聖書のみことばの中で、マルコによる福音書8章35節に

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、

また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」とあります。

これは何も文字通り自分の命を犠牲にしなさい、ということではなく、

自分本位な価値観に執着して変わらずにいる人は結果的に自分を滅ぼし、

それを打ち破って他者への愛に生きる人は、

その瞬間瞬間に新しく生きることができるということです。

それはちょうど、麦粒が土に蒔かれると、

地中でその麦粒自体は殻が破れて死んでしまうけれど、

そこから新しい芽が出て、やがてたくさんの麦が実るようなものだと

イエスはおっしゃるのです。

愛は時に愚かで無意味であるかのように思えることがあります。

でもその実は限りなく豊かに実り、そこには十分な意味があります。

何をやっても思うようにいかない時は、損得のメガネをはずして

愛のメガネをかけましょう。

すると固く閉ざされていた殻が破れ、思わぬ新芽が出てくるかもしれませんよ。

究極の「おトク」はその中にあるのです!

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