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世界で最も有名な日本人を描いた映画『HOKUSAI 北斎』

映画の冒頭は、少年が砂に木の棒っきれで絵を描いている。
この少年が、後に世界で最も有名な日本人となる北斎。
ゴッホやモネなど海を越え多くの表現者に影響を与え、日本人の誰もが「北斎」という名を知っているだろう。


平民出身だった北斎は当時の記録がほとんどないようで、徹底的に調べた資料や作品などから創り出されたオリジナルストーリーだそうです。
壱の章・弐の章・参の章・四の章という構成で、北斎の青年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じています。
https://www.hokusai2020.com/index_ja.html



頑固で生意気な北斎打ちひしがれる

時は贅沢や表現の自由が厳しく制限されていた江戸。
まだ無名だった北斎が、浮世絵版元・蔦屋重三郎を通じて二人の絵師に出会います。
堕落しきった生活の中で絵を描いている「歌麿」、それから映画の中では北斎より幼い「写楽」、この二人に出会うことで激しい悔しさと妬みで絶望感を味わっている様が描かれています。
自分の絵が認められない悔しさ・自信喪失・嫉妬など、打ちひしがれた北斎が映画の中では海に入水します。しかしこれがきっかけとなり、北斎は覚醒へ。
どん底まで落ちて何かを掴んだのです。


北斎が化けるきっかけを作った、蔦屋重三郎(阿部寛)の台詞は心に刺さります。


「目の前にあるものを似せただけ。上っ面だけで命が見えねえ」
「何のために絵を描いている?」

これは表現者だけでなく、見ている人の多くに刺さる言葉なのではないでしょうか。
それが分かったら苦労はしねえよ!と、思わず江戸言葉で心の中で叫びました笑





絵は世界を変えられる

参の章に入り、老年期の北斎が描かれます。
「田中泯演じる北斎の狂気を味わう映画」と、私は勝手に銘打ちたいと思います。

描くことにまるで憑りつかれているような天才絵師となった北斎が、平均寿命40歳と言われる時代に90歳まで生きたどり着いた先に見たもの。
”目の奥にあるものを描く”と表現していた様に、描き続けてきた北斎には間違いなく、目で見る世界とは別次元のものが見えていたはず。それを表現することこそ、芸術家の醍醐味であり、行きたい場所なのかもしれないな、と感じました。

武士でありながら戯作を書き続けた柳亭種彦(永山瑛太)について語る場面で、
「自分が書きたいものをただ吐き出しそれが人の心を打つ
冥利に尽きる やめられない」
というような北斎の台詞がありましたが、種彦からは、やめられないことに出会ってしまったがゆえの幸と不幸とが同時に描写されていて面白かったです。


少し角度は変わりますが、自分とは?本当にやりたいことって?と、ほとんどの人は生きている間に一度は考えるのではないかと思います。
それを探し、ついに見つけるのはとてもとても幸せなことだと思います。でも、見つかったらもう戻れない。だってやめられないのだから。
もしかしたら、探している時こそが案外楽しいのかもしれませんね。


静岡市東海道広重美術館を訪れた際に知りましたが、浮世絵は絵師だけでは成り立ちませんでした。彫師(ほりし)や摺師(すりし)がいてやっと完成する作品だったのです。しかし、彼らの名前は表には出てきません。

世に名を知られる人や、歴史に名を残す偉人も、決して自分一人の力では出てくることはなかったはずです。
存命中は叶わなかったけれど、死後世界的に有名になったゴッホにも、弟のテオの他に彼の絵を信じ続けた二人の女性の存在がありました。
一人の偉人を輩出するのに、見えない多くの人が関わっている。身の周りのお世話をして直接的な協力をする人、何かしらの影響を与える人、金銭的な援助をする人等々、様々な力が働いて歴史上の偉人は語り継がれているのだな、と一人の人物の奥に隠れている人たちに私は思いを馳せたいと思います。



北斎は、表現の自由を弾圧しようとする窮屈な世の中に、絵を描き続けることで抗っていたのかもしれませんね。そういう見方をすると、北斎の魂は革命家だったのかもしれません。
芸術を楽しめないのは、争いの世の中、ということです。
今私たちが娯楽を楽しめる豊かな時代に生きていられるのは、先人たちが作った過去がずっと連なっているからです。

芸術は世界を変えられる。私もそう信じる一人です。

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