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代替可能なのかよ

かつての恋人に次の恋人ができたと知ったとき、

たとえばそれが私が次の恋人を作るよりも早かったら(それは今までたぶん一度もなかったから想像でしかないけれど)、「(モテる速度という意味で)負けた」と思うかも

次の恋人が私よりも可愛い子、美人な子だったとき、(かつての恋人が次に付き合う人の顔なんて知りようもないからこれも想像でしかないんだけれど)「(顔面レベルが)負けた」と思うかもしれないし、

逆に私の方が可愛い、美人なのに、と感じた場合、(まぁこれもかつての恋人が次に付き合う人の顔なんて知りようもないから以下略)「(顔面レベルは勝ってるのに)負けた」と思うかもしれない

おっぱいの大きい子と付き合ったのなら「(胸の大きさで)負けた」と思うかもしれないし、小柄な子だったら「(守ってあげたさで)負けた」と思うかもしれない

こういった類の「競う感情」はショボくてダサくて意味なくて、実は本当にどうでもよくて、では私がとても辛くなってしまう理由は何なのだろうかと卑屈な心の奥底まで潜って考えてみた結果、たぶん、

「代替可能なのかよ」

ということなのだろうと思う。


濡れた髪をドライヤーで乾かしあいっこした君の家のベッドの上、狭いベランダでほろよいの缶を傾け夏の夜風に吹かれて触れた唇、「こんなに人を好きになったの初めて」、歌を歌いながら手を繋いで線路沿いの道をスキップした帰り道、友だちにも言えなかったようなことでも俺の弱いところでも君にだから全部打ち明けられる、あんなに気持ちいいセックス、

あぁ、あれもこれも全部、他の女で代替可能なのかよ

それで私は何かに押し潰されたみたいに布団の中で縮こまって泣くしかない

私って代替可能な存在だったんだ


大好きだった誰かと別れるたびに、

生理でしくしく痛むお腹を優しくさすってもらって、温泉旅行で浴衣姿を褒め合っていちゃついて、「こんなに人を好きになったのはじめて」って、すぐに冷たくなる私の爪先を布団の中で私より体温が高い彼の脚に絡めて温めてもらって、自分のことをちっぽけな人間と感じてしまうような愚痴を「こんなこと話せるのあなただけ」と打ち明けて、そんなようなことを

次の大好きな人と懲りずにばかみたいに繰り返してきた

「お前だって代替可能なんじゃんよ」
「うん、あなたにしてもらってきたこと、私があなたで得てきた感情、ぜんぶ代替できた」

きっと、永遠に繰り返すんだろう


すべてばかみたいだなと思う

なんて不毛な営みなんだろう

でもこの繰り返しの営みが、その瞬間その瞬間の私を生かしてきたのは間違いのないことだから、

それこそばかみたいだ

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