子どもたちの習い事に見る二極化

習い事する子どもたちはたくさんいます。私の子どもたちも習い事しています。ただ、習い事って篩(ふるい)にかけられてたんだなって言う話です。

私は野球が好きで野球観戦をします。野球に限らずスポーツに限らす、上手くなるためには練習が必要です。そのために平日週末問わず練習に明け暮れます。

習い事は子どもたち当人の気持ちは大切ですが大人のサポートはとても大切です。そして多くの習い事では母親のサポートを求めます。

私は一時少年野球のコーチをしていました。子どもをそばで応援したかったし、私も野球したかったからです。

でも少年野球に母親グループがサポートに入り、お茶当番始め、季節季節のイベントなど裏で支えてくれて、子どもたちは野球以外でも楽しく思い出を重ねます。

私が悩んだのは母親グループに父親は相容れないことでした。妻は人付き合いが苦手といって協力してくれませんでした。来てくれたのは2年間で5回でした。あとは私が妻の代わりに母親グループに入ろうと努力しました。

表向きは母親の皆さんは笑顔で迎えて迎えてくれますが、母親同士ならふたりでやることを私ひとりに押し付けることなんて毎回のことで、私がまいりました。息子は野球を楽しくやっていましたが私が精神的に耐えきれず野球を辞めました。

習い事って母親が人様とコミュニケーションを取れないとできないと思います。どんなプロの選手も幼い頃から親に付き添われて練習して、そんな時、母親のサポートもしくは両親のサポートが求められます。

結局世の中が母親にサポートを求める構図があって、そこにすっと入れないと、習い事をしたくてもできないです。経済的じゃないところでも大人のコミュニケーション力で二極化してる現実があります。

習い事できない子どもたちは習い事をせずに生きています。日曜日の朝から早起きしてグランドに立ったり、塾へ行ったり、そんな子どもたちは大人のサポートをちゃんと受けて夢へ向かって日々練習して、そうじゃない子は手に入る環境や条件の中で、他の選択肢を知らずに、日々過ごしてます。

ああ、子どもたちが習い事を続けられてるってことは、子どもたちのヤル気と親のコミュニケーション力で篩にかけられた結果なんだなと思います。

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