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受け入れるということ

「愛というのは手ごわく残酷な怪物です」

この衝撃的かつシンプルな表現は女流漫画家、岡崎京子が、彼女の代表作『pink』の後書きに綴ったものである。

果たして彼女は作品を通して何を伝えたかったのか、そして私達が何をすべきか、それがこのコメントから紐解くことが出来る

急だが皆さんは犬や猫の殺処分問題をご存じだろうか? この殺処分問題の大半の理由は、「思ったより飼うのが大変だった」という飼い主の、動物を飼うということに対するイメージの欠如である。

だがこの問題は飼い主達当事者の問題ではないと私は思う。

問題は物事の簡素化にある

簡素化というより純化という方が相応しいか。皆さんは犬や猫のTik TokやYouTubeをご覧になったことがあるだろうか。犬や猫を美しく可愛く、『簡素化』、『純化』した動画を。動物というのは勿論美しい。しかし飼うのは楽なことではない。だがTik TokやYouTubeの中ではその類の大切な情報が隠されている。動物を飼うというのはその全てを受け入れ愛すことであるはずなのに。

これは人間同士でも同じことが言える。分かりきったことではあるが、どんな友人であっても、私達は面と向かって人と会話すると苛立ったり、鬱陶しくなってしまうことがある。

だが今日、幸か不幸か私達はSNSにより、好きな時に好きな事を相手に伝えることが出来るようになってしまった。これも一種の物事の簡素化、純化である。このせいか人々は苦しみや悲しみという感情を著しく忌み嫌う。全て自らの感情の一部であるのに。

そして岡崎京子は、簡素化、純化された世の中の『愛』のイメージを中和するために、あの『劇薬』達を世に放ったのだろう。

だか何故私たちは物事を簡素化してしまうのだろうか?正解は実にシンプルだ。物事は分かりやすく簡素化されたものの方が脳に優しく、楽できるから。それだけである。

では私達は物事の簡素化を防ぐためにはどうすればいいのだろうか。

岡崎京子は後書きに、こう書き加えている。

『でも水を恐れる子供も、何も恐れずざぶんとダイビングすれば、あら不思議、ちゃんと泳げるじゃない?めちゃくちゃなフォームでも』

私たちは物事の二面性を受け入れるしかないのだ。完全な善も完全な悪も存在しないのだから。切り捨てずに。楽せずに。全てじゃなくても出来る限り。多分

僕のヒーローも「恥ずかしい。それはカッコイイ」なんて歌っていたし。

まだ世の中捨てたもんじゃないと思いたい。

ではでは

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