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子犬コロコロタイムのリアル

これこれ、これだよ。

町ではひとりっ子の息子さん。
ここでは5人の兄弟、姉妹たちがいる。

正確には兄夫婦の3人の兄弟と、妹夫婦の2人の姉妹が、同じ敷地に同居している。
彼らもいとこ同士だ。

年齢順で行くと、Napuraの息子は下から3番目、ちょうど真ん中。

ひとりっ子晩ごはんには競争がない。
全部食べていいよ、とついつい親は言う。

この食卓には、競争と分け合うことと、真似すること、誰かを気にかけることが詰まっている。

夜、眠くなったと高床式の上に上がって蚊帳に入っていた息子。
そこにお姉ちゃんたちが遊びにきた。

「まだ寝るのはやーい!」

さっきまで閉じかけていた瞳が完全復活。

階段上がってくる人たちを待ち伏せする遊び。

最後はなぜか、全員でうちの蚊帳に入ってる!

キャッキャと蚊帳のなかに響く兄弟たちの声を聞きながら、眠くて目を擦ってる隣の息子に聞いてみる。

「今日、どんないちにちだった?」
「楽しかった。」
「なにがあったの?」
「みんなで遊んだ。いっぱいいっぱい遊んだ。あと、いっぱいいっぱいごはん食べた。」

そして、兄弟たちの名前を指でひとりひとり数えながら、今日は「5人であそんだ!」と。
(ひとりはまだ2ヶ月ベビーだからね)

この話を隣で聞いてた兄姉たち。

日本語の「いっぱいいっぱい」が気に入ったらしく、しばらくいっぱいいっぱいの輪唱。

そして一瞬声が途切れたと思ったら、お姉ちゃんが1番最初に寝落ち。

狭い〜
足がおもい〜
とか、文句言いながら息子も寝落ち。

どれもこれも、1人では生まれない時間。

多世代が近くに暮らす、その懐の大きさが、小さな子どもが「そだつ」上での、村の持つゆたかさのひとつ。

ジェイン・ジェイコブズの映画を見たとき、1960年代のアメリカでも、道路には多世代が集まって遊ぶ姿の映像があった。

それがあまりにも今、コンポントムの村で、町で目にしている光景と似ていて驚いた。

人が人と近い距離で生きる。
それはそんなに昔の話じゃないのかもしれない。

つづく。

2020.9.8

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