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この人なら自分が変わってもいい、という人に出会うこと。

学年主任(Aさんとする)に連れられて
築地本願寺にある18品目の朝ごはんを食べた。
それはそれは体に優しく、美味しかった。

この後に控えているワクチンも頑張れそうだ。

話が逸れてしまったが
Aさんは私が初任の時に指導教員だった、
誰よりも一番お世話になってきた人である。
縁あって、
今年も同じ学年を組ませてもらっている。

朝ごはんの帰り道、さようならをした後に
改めて感謝の思いが込み上げてきたので以下に綴る。

誰もが仕事やプライベートにおいて苦しい時期というものを経験すると思っている。
私自身、昨年度末から今年度の始めにかけて、
人とご飯が食べられないという状況に悩まされた時期があった。給食が食べられず、朝一人で食べて、昼を抜いて、夜一人で食べるという生活は思い出してもキツかった。
(調べたら会食恐怖症というものだった)

そんな時期を経て、朝ごはんに連れていってくれたのだ。「食べられるようになった?」とか「元気になってよかった!」とか、そういった類のことは一切言わず、ただただ楽しい食事の時間を過ごしてくれるのだ。
その時間が私にとって、どれだけ有難かったことか。

言葉を越える優しさが、そこにはあった。

職場では、体調を心配してくれる言葉をもらうこともあったが、Aさんはいつも変わらなかった。
優しさとしてどちらが良いのかなんて分からない。

ただ、私はAさんのような優しさを与えられる人間になりたいと強く思った。
そして、Aさんにとって幸せである何かを、
私にできる何かをしていきたいと思った。
直接的に喜ばれることでも、間接的に(たとえば子どもを通して)喜ばれることでも。

本当に出会えてよかった、と思える人って、
きっと自分がその人のために変わりたいと、
あるいは成長したいと思える人なんじゃないだろうか。

家族でも、恋人でも、友達でも、
この視点を忘れたくないのでここに書き留めておく。

この人の為なら自分が折れてもいい、変わってもいい、と思える人に出会うこと。
反対に自分が相手を変えようと思っていたら、人生うまくいかない気がする。

見えない優しさに気付かされた
気持ちのよい朝であった。

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