見出し画像

CCDコンパクトデジタルカメラ

このところ急激に古いCCDセンサーのカメラが見直されてきている。
特にCCDを積んだ一眼レフではなくコンパクトカメラが注目されている。
これはアメリカの一部の若いインフルエンサーが小さい頃に撮影に使われたCCDのコンパクトカメラで撮影した画像がエモーショナルで質感も比較的フィルムに近いという事で話題になっているようだ。
確かに2007年前後にデジタルカメラが明確にフィルムを追い越した感じがする。
つまりベンチマークだったフィルムの画質を超えた事がはっきりした時期だったのかもしれない。
一眼レフではNikonのD70によって普及が広がり画質は既にフィルムを超えていた。
ただ、コンパクトデジタルカメラではフィルムと並んだかそれを少し追い越した程度だったように思う。
ベンチマークがフィルムだったのだからフィルムっぽいのは当然だ。
デジタルカメラはフィルムを追い越した2010年以降は画質、色彩の仕上がりにおいてデジタルカメラとしてのあるべき姿を求めていき現在に至ると考えている。
それは主にコントラストや色彩の鮮やかさ、ノイズの低減などではないだろうか。
いや、レンズの歪みや周辺減光など光学的な弱点もデジタル処理で補正されている。
とするとフィルムらしいデジタル画像を作ろうとすると現在のデジタルカメラよりも過去の2007年前後のコンパクトデジタルカメラで撮影した方が的確なのかもしれない。
もちろんフィルムと同じく当時のCCDセンサーは高感度に弱くISO400でフィルムと似たような、いやフィルムのISO800での粗い粒子感に似たノイズが表れる。
このノイズもデジタルならではの粒子と解釈されているのでないだろうか。
前述のアメリカのインフルエンサーはデジタルカメラのノイズはフィルムの粒子より美しいと言ったそうだ。
そうとも思えはしないがノイズを悪だとも言いきれない。
確かにこの時代のカメラにはノイズが良い塩梅で写真の仕上がりに貢献している事も事実だと思う。
ここら辺は個人的な感覚が優先されるべき事ではあるが画質を極めた写真が美しいかというとそうではないと思っている。
それはレコードとCD、デジタル音源と似ていて、技術的には最高点を目指すもののそれを受ける人間の耳や視覚はアナログでこれは規格として統一できず人それぞれだからだ。
人間自体がアナログな存在である以上、そこに完璧な画質は存在しないということだ(数値的、規格としては可能だが)
少なくとも僕自身は画質至高派ではなくてフィルム時代の画質、色調、雰囲気が好きなので良い傾向なのかなとも思っている。
ただ、レコードと異なるのは古いデジタルカメラはやはり電気製品なので壊れやすいという事ではないだろうか。
現在、愛用しているリコーのGX100も時々、動作が怪しい時がある。
とはいえこうして10年前後も前のカメラがまた話題になるのは悪い事でないように思うし、
新鮮なのはノイズを許容し出したということだと思う。
ここ最近はデジタルカメラの価格も相当高くなった。
でもその性能の差は本当に必要なものなのか?
それも考える時代になってきたように思う。
最新のコンパクトデジタルカメラであるGR3xとGX100を使いながらそんな事を考えて今日も写真を撮っている。

沖縄恩納村
沖縄恩納村


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?