5人ではなく、6人でSMAPだった。

今週、森くんが日本一になったニュースをあちらこちらで見ることができた。
確かその日は嵐のアラフェス配信日で、嵐ファンが一日中画面に釘付けになっているその横で、私は森くんのニュースを感慨深く眺めた。

レースの流れとか、実際の現場で見てもいないし長年のオートレーサーの姿を追ってもいない私には、ニュースが伝えた文字通り受け取っただけなのだけど。涙ながらにインタビューに答える姿には、やはり嬉しい気持ちがこみ上げるものだった。

そして翌朝には、お祝いメッセージが5人から発せられたことがニュースになっていた。
つらなる記事やリンクには、ななにーで森くんと再会した日のことや、27時間テレビでのお手紙全文などが並び、思いをはせてしまわざるを得ない状況だった。

私が自分のおこづかいで初めて買ったCDは『君色思い』と『HeyHeyおおきに毎度あり』で、そのうちに過去のSMAPのCDも雑誌も買いそろえるようになり、初めてのファン人生がSMAPだった。
出演するテレビをこまめにチェックして、VHSテープを何本も使い回しながら見ていたっけな。

そのうちに熱心に追いかける対象ではなくなったけれど、スマスマは欠かさずに見ていた。最終回をのぞいては……。
未だに録画したものを再生できずにいて、それは特別な思い入れとか願掛けとかではないのだけど、ずっと再生できない。理由はわからないし、まだ追求するところにもいない気持ちでいる。

嵐の活動休止が発表されたあとのことや、タッキーが表舞台に立たないことを表明してからの特番なんかも見ていて、きちんとお別れの舞台を整えてもらえたことやファンへ直接その言葉を伝えられることが、どれほどに大切なことかを語る声もたくさん耳にした。
そしてSMAPの復活を願う切実な声も、今でも簡単に最新のつぶやきを目にすることができたりすることも知っている。

正直な気持ちとしては、再結成してもあの頃みたいに楽しく5人のことを追いかけられないだろうなと思ったし、SMAPという存在をいつまでも感じながらいられるだけで十分じゃないのかな、とも思っていた。
そして、いつか時間がたくさん流れたら、また交流しあう姿を垣間見える日がくることも信じていて、その日をほんのりと楽しみに待つだけでもいいなと思っていて。

そんな中で、森くんのニュースを見て、5人それぞれのお祝いメッセージが報じられたりして、自分の考えが浅かっただけなのかもしれないな、と思った。

SMAPは最初から、ずっと、6人でSMAPで。
5人になってからも長い時間があったけど、森くんがアイドルグループを抜けたときと、5人での活動を終えたときというのは、ある種の同じことのようにも思えてきて。
SMAPという道の中のひとつの出来事のように感じられた。

それは木村くんの「それぞれの選んだ道で、それぞれが掴むもの。」というコメントを読んだときに、なぜか、そう感じられて、自分の中にすとんと降りたような感じがあった。
改めてコメントを確かめようと検索したら、ひとりだけ冷たいコメント、定型文のようだと強いあたりがあるような記事を見かけたりもして、現実の様相なんかはさっぱりわからないのだけど。
私には「森くんが選んだ道で森くんが掴んだ」ことをお祝いするだけではなくて、「それぞれが選んだ道」という、6人みんなの生き方を肯定して応援している言葉にしか思えなくて、キムタクからその言葉が出てきたということに、すごくあったかいものを感じたのだ。

だから、5人のSMAPに戻ることに、あまり大きな意味はないんじゃないのかな、と思えてきて、これからも6人のSMAPがそれぞれに楽しく全力で進んでいくということを、もっと前向きに見つめていけそうだな、と思えたことにちょっとうれしくなった。

解散したこと、解散を飲み込めないでいたことは事実だけど、5人の形の解散がどうということよりも、6人の絆が今も変わらずに続いていることのほうが、よっぽど尊いもののように感じられる。

当人たちがどう思っているのかは知る由もないし、ファンの妄想物語でしかない。
だけど、今思えば、当時6人が5人になってからは、SMAPとしての日々が6人の夢と希望を羽ばたかせる場所から、「仕事」というか「使命」として果たすべきものになったように感じられる部分は少なからずあって、その頃から私はファンらしいファンではなくなってしまった。
子供心にその違和感を感じていたかもしれない。

でも結果として、遊びの延長じゃいられない、本気のアイドルとしての生き様を、プロのアイドルとして生き抜く形を模索して挑戦して突き詰めた先に日本中で知らない人のいない国民的グループという成果を残してきたんだと思う。
そこには、夢を諦めずに向かっていった森くんに負けられないという思いもあったと思いたいし、森くんが諦めなかった道と同じように、自分にはエンターテインメントの世界が究めたい道なんだと覚悟を決めるきっかけになっていたのかもしれないと思いたい。

だから。5人のSMAPという形はなくなってしまっても、SMAPが消し去られてしまったわけではなくて。
6人がそれぞれの道を突き進むための母艦のような存在が、きっとずっとSMAPであったらいいなと思う。

そして、できることなら。
ジャニーズ事務所の人たちも、SMAPという歴史を否定したり無視したりしないでいってほしいと願ってしまう。
世代間や交流の差があるにせよ、V6とKinKi Kidsだけがインタビューや思い出を語るときにSMAPの名前を出すことがうれしい反面、絶対にその名前や存在を取り上げまいとするグループの立ち居振る舞いが妙な違和感を表出させていることが、苦しさを感じてつらいから。
心の底からそうしているわけじゃないとしても。
彼らのファンもその振る舞いを肯定している人が多いだろうけど、SMAPの存在を否定するような姿は、いつかの自分たちの未来になるかもしれないと少しでも思っていてほしい。

そんなことを、つらつらと考える週末だった。
すっかり自分もおばちゃんだけど、株式会社TOKIOのことも丸ごと応援していきたいなあ。
推しがくれるパワーが自分を変える力があることを教えてくれたジャニーズが、これからもいい形で繁栄しますようにとお祈りをこめて。

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