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【トーハク】呉昌碩から書という芸術を学ぶ(1)


東京国立博物館の東洋館 8室では、2024年1月2日(火) ~ 2024年3月17日(日)まで、 「生誕180年記念 呉昌碩の世界—金石の交わり—」が開催されている。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2638
書を観るのはとても難しい。
そして毎回思うことだが、自分がここから何を得ているのだろう。
この展示物をきっかけにインプット&アウトプットを試みたいと思う。


書画篆刻とは?

呉昌碩(1844~1927)は、清朝末期から中華民国初期に活躍した人物である。書画篆刻の芸術作品を多く残した。

そもそも書画篆刻とは、ChatGPTによると「中国の伝統的な美術形式の一つであり、文字や絵画を創作する技術や芸術を指す」。

茘枝図扇面(れいしずせんめん)・19~20世紀・呉昌碩

おそらくこういう作品のことを指すのだろう。
ちなみに赤いつぶつぶしたのが「茘枝(=ライチ)」

中国では18世紀後半以降、考証学(*1)の興隆とともに金石学が栄えた。
書の世界においては、それまで王羲之を中心した法帖(ほうじょう*2)があったが、青銅器の銘文や石碑の書が尊ばれるようになった。
こうした背景を受けた呉昌碩は金石を通じて多くの師友と交わり、その見識を広めていったようだ。

言葉が難しい(泣)

(*1)考証学
中国の明末におこり清代に盛行した学問。四書・五経などの古典の解釈を、古書・古文書などから証拠を引き、実証的に行うもの。顧炎武 (こえんぶ) ・黄宗羲 (こうそうぎ) らに始まり、日本では、江戸時代の狩谷棭斎 (かりやえきさい) ・伊沢蘭軒 (いざわらんけん) ・渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) らが影響を受けた。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
https://dictionary.goo.ne.jp/word/考証学/

(*2)法帖
書の手本とすべき古人の筆跡を石・木に刻して拓本にとり、折り本に仕立てたもの。広義には真跡・模写、碑文の拓本などを折り本にしたものも含む。墨帖。墨本。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%e6%b3%95%e5%b8%96/


金石とは?

そして、「金石」ってなんじゃーーーっ??

「金石」は、広辞苑によると「②金属器と石器。石碑・鼎・鐘など。」と記されている。そして「金石学」というのもあって「①金石に刻した文字・文章などを研究する学問」とある。

「金石学」をもう少し調べてみた。
ブリタニカ国際大百科事典によると

金石学とは、金属や石に刻まれた文字を主として研究する学問である。食器、酒器、楽器、武器、印璽、鏡鑑、仏像、梵鐘、碑、碣(けつ)、墓誌などが主な対象である。解読、文字そのものや書法の研究、文字の刻まれた器物の研究、史料としての研究など、その範囲は広い。

呉昌碩は金石の研究を深めたとされるが、それは古代の金属器や石刻の金石文字のことらしい。
では、古代がいつ頃なのかというと、殷・周・春秋戦国時代で、西暦だと紀元前1600年頃から221年に該当する。

ワタシ、中国史、マッタクワカリマセン。

私の足りない脳みそをフル回転させてやっと思いついたのが青銅器の鼎だ。
たしか、鼎の側面か裏面に文字が彫られていた気がする。
さらにGoogle検索で調べてみたら、「金文」というのがあった。
https://katycom.info/museum/金文-中国古代の文字/

こういう文字をよーく調べて、自身のクリエイティブ活動に活かしていたのでしょう!たぶん!!

今日はここまで。

※参考サイト

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