先生を辞めたあとは、何も苦労しないで自分のやりたい仕事ができた。

もう一本。先生やった後の話。

俺は、小学校の先生をやめたあと、就活生のキャリア支援の仕事を始めた。これは、当時の自分にとっては願ってもないような仕事だった。先生の仕事を経て、「あ〜もっと大人がワクワクしてないとってことだわ、だからそのコンサルができるような仕事がしたいな」と思っていたら、飛び込んできた話だった。実は先生をやめる半年くらい前から、たまたま就活生が俺に連絡をしてきて、相談に乗って欲しいということだったので、相談に応じていた。相談に乗っているうちに、友達もいいですか、と友達を呼んできて、増えてきて場所がなかったものだから、おさえてくれた場所が、のちに俺に仕事をくれた社長さんのオフィスだった。

社長さんは、俺のやっているワークショップを見て、うちで働いて欲しい、というオファーをくれた。スタッフを探していたこともあったみたいだけど、何よりキャリアや就活に関しての考え方の肌感覚が合う感じが良かったのだと思う。

なので、俺はほとんどなんの苦労もなく、次の仕事にありついた。先生を終えたあと、自分の好きで得意なことで独立したいな、と思っていたのだけど、もう一本、「メディアで記事を書きませんか?」という依頼も同時にいただき、それもそのまま仕事になった。当時はもう一つ、今のN高の授業動画に出演しないか、というオファーもあったけど、それは間に入っている人との縁があんまりなくて、そのまま何もなく終わった。

そんなこんなで、俺はすぐに次のキャリアをスタートさせた。しかも何か既存のものを覚えるというよりも、俺の中にあるものを出すことを求められていたので、とても自由で、楽しかった。でも、早速オチを書いちゃうと、それだけだった。なんていうか、俺が楽しいだけだった。「それで?」という言葉が自分で放って、自分にかえってきていた。そんなこと、したかったんだっけなあ、と思った。ていうかまぁ、したかったんだけど。やってみたら、物足りなかった、ということだった。先生をしていた頃のほうが自分の目的に向かっている感じがした。

とはいうものの、就活支援の仕事は楽しかった。やってみてわかったのは、就活がうまくいってない人って自分の感性とか経験をそのまま出していい、って思えていなくて、それを隠しながら話しているから言ってることがイマイチ伝わらないんだな、ってことだった。平たく言えば、自己肯定感の問題だ。だから、俺の仕事は、その人が本当に言いたいことを聞いてあげることだった。それはどう内定を取るか、という戦略以上に大事なことだったと思う。

だがしかし、就活支援というのは、就活支援と言うくらいなので、最終的には就職を支援する仕事なので、結局企業に入社する、というゴールを共有しなくてはいけないことがなんとなく合致しなかった。それがいいとかわるいとかではなくて、自分の中の一致度とは違うところにあった。もっとその人がその人らしくあれることの応援をしたいな、とおもった。内定という結果はそのボーナスみたいなもんだと思ってた。

そして、ひょんなことから、いきなりこの仕事を卒業することになる。

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