見出し画像

拉麺ポテチ都知事13「ある都民の賭け」

前も書いたが、もし私が都知事なら東京オリンピックは中止かフルリモートで開催する。それによって既存のスポーツはeスポーツの一種として相対化される可能性もあるが、やむ無し。パフォーマンスとしては一番パンチがあり、下手したら「英断だ」と賞賛を得られるだろう。

恐らく百合子氏もそれを狙っているはずだ。もし本当に開催したいのなら、持ち味のパワープレイを発動させ、東京都だけでもワクチン接種をガンガン進めていたはずである。

そういえば母方の叔父も昨年から「東京五輪はやらないと御上から通達が来ていた。賭博は“開催しない”に賭ける様に」と言っていた。母方の親戚はやたらと賭けたがる。その習慣が私は好きではなく、小さな時から何かと「賭けるか?」と聞かれるのが嫌なのだった。

よく覚えているのは、横浜で音楽活動していた祖父が地下カジノのポーカーで勝ちすぎた、という話。勝ちに浮かれてからテーブルの参加者のみならず、場の面々がほぼほぼ堅気でないことに気付いたという。「いや、地下賭博って時点で気付けよ」と思うのだが、彼はトイレに駆け込み、服のポケットというポケットに金を詰め込んで、残りの勝ち金を全て返上し逃亡したとか。そんなエピソードのいくつかを誇らしげに孫の私に話していたものだ。

そもそも祖父が賭け事を好むのは戦後の強烈な体験に起因している。満州から引き揚げ、別府に渡った彼に影響を与えたのはアメリカ文化だった。当時、別府は南北戦争の激戦地に地形が似ていたことから「キャンプ・オブ・チッカマウガ」と呼ばれており、進駐軍を中心にジャズやファッション、風俗が発達した歴史がある。

そんな場所で、祖父の育った施設の改築費のための資金稼ぎとして、米軍のアーン少佐が行ったのが「神奈川の座間から別府まで2週間で踏破できるか?」という賭けだった。石原裕次郎が出演する『ある兵士の賭け』という映画にもなった有名なエピソードである。実は本映画に登場する「タケシ少年」は我が祖父がモチーフなのだ。

映画プロデューサーのジェームス三木氏が「前科二犯のブルース」(面白すぎるので、この曲のことはいつかまた書くが)という楽曲を共作するほど、祖父とは親しい友人で「この話を映画にしたい」と持ち掛けたのである。今もAmazonプライムで観ることができるのだが、賛否が大きく分かれているのにも関わらず星が4.4なのは驚く。

1320キロを期間内に踏破し、賭けに勝った米国軍人の姿はタケシ少年にとってメロス以外の何者でもなかったはずで、憧れの元体験であることは想像に難くない。それが生涯の癖として定着し、時に孫を困惑させたのだなあ。

さて話を繋げつつ、元に戻したい。私は「ある都民の賭け」として「百合子氏は東京五輪を中止にする、またはフルリモートで開催」にベットする。

しかし問題は彼女がこれで株を上げる様なことになったらどうするか、である。その勢いでワクチンを進めるか何かして、さらに人気を得るかもしれない。そして国政や日本初の女性総理へと駒を進めたら。この散文のタイトルは我がニックネームの変遷だが、こうなると拉麺&ポテチ&都知事の先が見えてくるというものではないか。

では思い付きで賭けに勝った時のダブルアップとして書こう。「東京五輪を中止して名を上げた場合、彼女は国政に向かい、キャリアアップともに私の愛称も変わっていく」。

こうなれば、更にダブルを重ねるほかない。「最終的に私のニックネームは“総理”になる」にベットだ。

賭けが好きではないはずなのだが、書いているうちにこんな場所まで来てしまうのは不思議なものである。しかし、万が一賭けにすべて勝ったとしても、恐らく私は「カウンター小池」の椅子に留まり続けるだろう。現行における彼女の愚策を評価できるわけがない。

それでは、まず五輪の行く末から見守ることとしよう。



活動継続のための投げ銭をいただけると幸いです!