治療につながるまで

こんにちは、河村尚弥です。
今日は私がどのようにして行動療法、森田療法、認知行動療法につながったかを書かせていただきます。よろしくお願いいたします。

治療方法が見つからないまま、仕事もできない状態に

児童養護施設に勤めている中でも、日増しに症状は重くなっていきました。なんとか治りたい思いで、お医者さんを変えていきましたが、その頃、強迫性障害の話をしても医師に理解してもらえない時代でした。

前回のブログでも少し書きましたが、当時、薬物療法では、SSRIがまだ日本にはなく、アナフラニールというお薬が強迫性障害の治療には有効といわれていました。でも私はそれすら処方されていませんでした。それほど強迫性障害に対する治療法を知っている人がいない時期でした。

症状を伝えると頭を抱えてしまう医師や、「気にしなければいんだよ!」と大声で怒鳴る医師。何も言えない医師。
また、原因がわかることが大切だから、と言われ、合計で3名の医師から簡易のフロイトの分析療法を3年近く受けましたが、悪化するばかりでした。

症状が強くなり児童養護施設を辞め、実家に帰りました。そして、4年間寝たきりになってしまいました。まわりのものがすべて不潔で触れなくなり、食事もできなくなってしまったためです。強迫観念が強すぎて、脳が疲弊していたということもあったと思います。

本を読んで森田療法、行動療法を知る

その頃、森田療法について書かれた本に出会い、数冊読みました。
私は、これは私の症状に効くのではないかな?と思いました。
その後、行動療法の本にも出会いました。フロイトの分析療法の本も読んでいました。
なかなかよくなれませんでしたので、自分でも努力しました。

週一回の診察は一度も休まずに行きましたが、診察が終わると体力がなくなりすぐに家に戻って、止まらないシャワーに入り休みました。
そして、月に一度、森田療法派の自助会があるのを見つけたので、自宅から100キロ離れていましたが、父に連れて行ってもらいました。
自助会の先輩の中に、対人緊張で悩んで自助会で回復してきたという方がいました。私が通い始めて7,8回目の時に、その方から、「あなたも働かなければだめだ」と言われました。
私は「今の私は働ける状態になく、はいつくばるような状態でようやくここに来られてるんだけどもな。」と思いました。自助会は勉強にはなったのですが、それ以降は行けなくなりました。

心配した母の友人からの支援で上京することに

すると、寝たきりになっている私を心配して母の友人が訪問し話を聞いてくれるようになりました。

季節は春になり、夏、秋、冬…と4年が経過した1996年、母の友人が支援してくださり、東北から上京して、東京で病院を探すことになりました。

当時、大学4年生だった母の友人の息子さんのアパートに泊まり、インターネットもまだない時代、本屋さんに病院案内のガイドブックを3冊購入しに行きました。立てた作戦は、強迫性障害に強い病院を学派別にまわることでした。

分析療法、カウンセリング、薬物療法、行動療法、森田療法、など。

東京、埼玉、千葉、神奈川、静岡を回りました。

ちなみに1996年は、認知療法が日本に導入される3年前でしたので、認知療法、認知行動療法はまだなかったです。

私の症状に合う治療にはなかなか出会えず

しかし、来る日も来る日も連敗でした。「遠方から来られたからはっきり言うけども、今されている治療以上のことはできない」と言われました。

ある分析療法の大学病院は
①分析療法は現在から過去に遡っていく治療法だが、強迫性障害の患者さんはその方法では症状が固着して余計悪化する。 
②分析療法をする中で強迫性障害の患者さんにトラウマが見つかる場合があるけれど、現在の症状との因果関係がはっきりしない。
という2つの理由で、その大学病院として強迫性障害の患者さんに分析療法を行うことを取りやめにしました、と回答されました。

そうして色々な病院を回る中で、N大学がヒントをくれました。
N大学の医師は、「うちでは行動療法をします」と丁寧に説明してくださった上で、「あなたは九州の山上敏子先生を知っていますか?」と問われました。
私は「お名前だけお聞きしています。」と答えました。
すると医師は、「うちは九州の山上先生の6割しか行動療法ができないから、あなたがほんとうに治りたいと思ったら山上先生のところに行きなさい」と言ってくれました。

「手袋を脱いでください。」と言われ、私は手袋を脱ぎました。皮膚がボロボロでした。診察室に手の皮が落ちました。

入院治療など複数の治療によって回復の方向へ

97年に山上敏子先生の行動療法を頼り自宅から約1700キロ離れた九州へ向かいました。かなり緊張しました。九州の行動療法は基礎の基礎から応用編まで訓練していきました。半年間あっと言う間でした。

九州での治療を終えた後、すぐに上京したのですが大きな再発に襲われましたので、半年間、静岡で森田療法を行いました。
静岡の森田療法の病院も引き受けてくれたからです。「あなたの症状は重いから、入院森田療法を引き受けます。この森田療法をもってしても強迫神経症は(当時)難治中の難治です。」と言われました。

さらにその後、再再発を起こした時には、東京でもOCD外来が始まっていたので、東京で認知行動療法を受けました。
振り返れば若い頃は重い症状に苦しめられてきましたが、私はこれらの治療の相乗効果で回復できたと思っています。
次回からは、これらの治療の具体的な内容をご紹介したいと思います。

読んでくださりありがとうございました。


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