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治療と私① 家から出られず寝込む日々

こんにちは、河村尚弥です。
今日からのブログは、少し具体的なエピソードも交えながら書かせていただきます。よろしくお願いします。

部屋の窓から季節の移ろうのを見て焦る

私は強迫性障害が重くなり、20代半ばから自宅からの外出ができなくなりました。
まわりのものがすべて不潔に感じ、触ることができませんでした。物が触れないのはとても強い恐怖です。

何も触れなくなった私は寝ているしかありませんでした。でも、布団も不潔に感じてしまい、体をくの字にして寝ていたり、布団から出て寝袋に寝たりしていました。
そうやってどんどん動けなくなり、自分の部屋で寝ていたのです。

部屋の窓を見ていると季節が変わっていくのが分かります。
春になり、夏になり、秋になり、冬になる…。
それを4回繰り返しました。
季節が変わる度に、「このまま何年過ごすのだろう?」あるいは「もう何年過ぎたのだろう?」と、強い焦りや不安がありました。

週に一回だけ通院のために必死で外出しました。体はフラフラでした。

当時は、「強迫神経症」と呼ばれていた時代でした。

親戚からもらった車で通院をしていましたが、その車を消毒してばかりいました。あまりにも消毒が止まらないので疲れ果てた私は、車を捨てようかと思ったことが何度かありました。

薬もなく、医師にも知識がなかった

強迫性障害に有効と言われるSSRIという薬が、日本にはまだありませんでした。そして、アナフラニールという薬が処方されていた時期でしたが、医師に知識がなく、私にはその薬も処方されませんでした。

症状のことを説明すると頭を抱えてしまう医師や「気にしなければいいんだ!」と大声で怒鳴る医師、治療法について何も言えない医師も多い時代でしたので、とても苦労しました。

ある時は、対面した先生が私の腕を取り、肘関節を中心に前腕をくるくるとゆっくり回しました。両方の腕を行いました。

その時、私は心の中で「自分は整形外科に来たのではないのだけど…」と思いました。

精神分析療法ではかえって症状が悪化

ある時、別の医師から「症状の背景にある原因を探し出すことが大切です」と言われました。1990年代半ばは、フロイトの精神分析療法がまだ多く残っていました。

私は必死で治療についていきました。四年近く、過去のことを随分と話しましたが、まったく手応えがないばかりか、かえって悪化していきました。

診断名も知らされていなく、本を読んで自分で調べました。
そしてある日、医師に「強迫神経症というのですか?」と尋ねると、医師は頷きました。

風邪に効く漢方薬を飲んでいた

ある医師には2年くらいついて治療しましたが、具体的なアドバイスは何もありませんでした。漢方薬が処方されていました。
あるとき風邪を引いたので、いつもの漢方薬を飲まないで、内科に行き風邪薬を出してもらいました。
後日、主治医を受診した際にそのことを伝えると「あの漢方薬はやめなくてもよかった。風邪にも効く薬だから」と言われました。私は今まで一生懸命風邪に効く漢方薬を飲んでいたのかと、ひどくがっかりしました。


以前
このブログにも書きましたが、1996年に関東の大学病院を学派別にまわった時に、精神分析療法に最も力を入れている大学病院も受診しました。

その際、
1 精神分析療法は、現在から過去にむけて遡っていきながら行う療法ですが、強迫神経症の患者さんはそれをやると症状が固着して悪化する人が多い。

2 精神分析療法を行うことで、強迫神経症の患者さんにもトラウマは見つかることはあるが、現在の症状との因果関係がわからない。

以上、2つの理由をもって、大学病院として強迫神経症の患者さんに精神分析療法を行うことは取りやめました、と言われました。私の症状が悪化したのもそういうことだったのですね。

今日も読んでいただきありがとうございました。

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