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なぜ人類は地球外生命に会いたがるのか??

いまを生きる僕たちの思想・価値観をベースに「なぜ人類は宇宙を目指すのか」という観念をアップデートしようということで,この記事を書いています.第二回目は「なぜ人類は地球外生命に会いたがるのか??」について考えたいと思います.初回にも書きましたが・・・私自身は宇宙工学の専門家ですが,「なぜ人類は宇宙を目指すのか」という哲学に関しては素人です.ですので,あくまで一個人の考えとして,この場であえて考えを深めてみたいと思います.

地球外生命が見つかるシナリオ

見つかりうる地球外生命体を「微生物」「肉眼で確認できるほど大きな生命体」「知的生命体」に分類するとしましょう.ここで,「微生物」と「肉眼で確認できるほど大きな生命体」の違いは人間の肉眼で見えるかどうか.「肉眼で確認できるほど大きな生命体」と「知的生命体」の違いは,(Yuval Noah Harariの言葉を借りるとすると)(フィクションを語って)大規模で適用性の高い協調ができる生物(=すなわち,文明をもった生物)なんだろうと思います.

このとき,近い将来(例えば,20年以内)に太陽系内で「微生物」が見つかる可能性は高いと思っています.研究者として楽観的過ぎると言われるかもしれませんが・・・「肉眼で確認できるほど大きな生命体」(例えば,魚のような生命体)も,そう遠くない未来に太陽系内で見つかるかもしれません.

一方で,「知的生命体」が太陽系内で見つかる可能性は低く,知的生命体と出会うためには太陽系を脱出して,他の恒星系を訪れる必要があります.残念ながら,いまの技術では一番近い恒星系に(通り過ぎるだけではなく)訪れるためには数千年〜数万年以上掛かる(小泉宏之著,「宇宙はどこまで行けるか-ロケットエンジンの実力と未来」,中公新書,2018年)ため,知的生命体と直接出会うのは,ずっと遠い将来の話になってしまいます.知的生命体が見つかるシナリオがあるとすると,「直接ではなく電波を介した情報を通じて発見する」か「我々より高度な技術をもった知的生命体が地球に会いに来る(侵略しに来る?)」かになるでしょう.

もし地球外生命が発見されたら何が起きるのか?〜物質的変化について〜

さて,これらの地球外生命が見つかったときの物質的な変化(人間の心理的な変化ではなく)について考えましょう.

まず分かり易い例からスタートすると「知的生命体」が発見された場合,彼らが親切な宇宙人であれば,彼らの知識を教授してくれるでしょう.仮に彼らが意地悪で何の知識も教えてくれない場合であっても,「知的生命体」が遥か遠方から地球に訪れたという事実が大きな影響を与えるでしょう.まだ誰もやったことが無いことは「できないかもしれない」という不安を伴いますが,誰かが成し遂げたことであれば人類の英知を総動員すればできるはずだと思えるでしょう.あるいは,我々を超える知識を使って,我々ホモサピエンスを搾取するかもしれません.これらは逆も然りで,我々が彼らを搾取するかもしれません.我々が彼らを搾取する(あるいはその逆)ことに関する倫理観については.このあと,詳しく書きたいと思います.いずれにせよ,「知的生命体」の発見は,我々の日常に革命を起こすことは間違いないでしょう.

知的ではない「肉眼で確認できるほど大きな生命体」が発見された場合は,我々は彼らの知識を教授することはできません.ですが,人類が地球上の動植物に対して行ってきたことと同様のことを行うだろうことは容易に想像できます.例えば,(倫理観を無視して考えた場合)彼らを飼育・鑑賞したり,実験体にしたり,食したり,搾取したりするのでしょう.地球生命体の動物園・水族館・植物園があるように,宇宙生命体の動物園・水族館・植物園のようなものはできる可能性は高いと思います.また,科学的には,これまで地球というサンプルの中でしか議論できなかった生物学が,別の天体という新たなサンプルの中での生物学が加わることで,大きく進歩するでしょう.その進歩を促すためにも,より多くの生物を調査するためのミッションが急激に加速することが予想されます.彼らが我々人類にとって特別な性質を持っている場合は,彼らを搾取する可能性も高いでしょう.例えば,彼らが新たなエネルギー源を産む生物であれば・・・?彼らを使ったプラントができて,いま人類が抱えるエネルギー問題が解決できるかもしれません.他にも放射性物質を食べて,(半減期を待たずに)短時間で無効化してくれる生物であれば・・・?いま人類が抱える原子力発電の廃棄物問題が解決できるかもしれません.

「微生物」が発見された場合であっても,「肉眼で確認できるほど大きな生命体」が発見された場合と,物質的には大きな違いがないように思います.ただ「肉眼で確認できるほど大きな生命体」よりは,倫理観が緩くなるのではないかと考えられます.彼らを搾取することに対する抵抗・抗議は起こりづらいように思います.一方で,「微生物」が地球上の生命体に害を及ぼす,病原菌・ウイルスのようなものである可能性も十分に考えられるでしょう.ただし,(宇宙工学を研究している立場から一言加えると・・・)我々専門家はこのようなことが起きないように細心の注意を払って,サンプルを分析し,影響評価をする予定なので,「宇宙から来た未知のウイルスの蔓延」というシナリオが起こる確率は非常に低いと思っています.

もし地球外生命が発見されたら何が起きるのか?〜心理的変化について〜

地球外生命の発見が我々の心に及ぼす変化・・・それはまず第一に「我々が孤独ではなかった」という事実の認識だと思います.科学者の多くは地球外生命は存在するはずだと信じていると思います.ですが,彼らが我々の日常に関与いないうちは,彼らの存在はあくまで我々の頭の中にのみ存在する想像の産物に過ぎないでしょう.ひとたび,彼らが我々の日常に関与してくると,彼らに対する倫理観等・・・我々のこれまでの思想を変える必要性が生まれると思います.

具体的に言うと,いまの人類(以下,地球人と言いましょう)はヒューマニズム(人間至上主義)を前提に倫理・道徳・思想を構築しています.例えば,地球人が死ぬことを絶対悪として,法律で捌いているわけです.ここに,地球外の(知的)生命が現れた場合,価値観はどのように変わるでしょうか?地球人は地球動物を搾取していますが(例えば,牛肉を食べる),宇宙人と地球人は同様の権利があるのでしょうか?宇宙人と地球人に優劣は付けられないのでしょうか?宇宙人よりは地球動物の方が「同じ地球に暮らしている」という観点で地球人に親しいものがあるはずです.もしかすると,アーシズム(地球生物至上主義)という観念が生まれるかもしれません.いずれにせよ,いまの倫理・道徳・思想を構築しているヒューマニズムは壊れることになるでしょう.そのとき生まれる新しい倫理・道徳・思想がどのような物なのか・・・これはまた改めて考えてみたいと思います.

なぜあえて地球外生命を探査しようとしているのか

最後に「なぜあえて地球外生命を探査しようとしているのか」について考えたいと思います.まず多くの研究者・科学者は「知りたい」という知識欲に突き動かされていると思います.例えば,皆さんが映画を見ていて,すごく良いところで終わってしまったら・・・「続編を見たい!!」という衝動に駆られるでしょう.それと少し似ているように思います.仮に続編がハッピーエンドだろうとバッドエンドだろうと・・・.とはいえ,全ての人が知識欲だけで動いているわけではありません.

地球外生命に対してポジティブな視点に立つとすると,彼らと出会うことでここまでで書いたような実用的なメリットがもたらされるでしょう.一方で,ネガティブな視点に立つと,彼らと出会うことは大きな脅威・リスクだと思われるかもしれません.例えば,地球外知的生命体と出会ってしまったとすると,彼らに侵略されるかもしれません.しかし,仮に彼らが地球を侵略するほどの高い技術力を持っているのであれば,このような脅威・リスクは現状でも抱えています.積極的に彼らの存在を知ることは,そのような脅威・リスクに対する備えになると考えられます.彼らが地球人にとって良い存在であろうと,悪い存在であろうと,その存在を知っておくことは非常に重要だと考えています.



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