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”だけ”を求めてしまう時

「好きな事だけしたい」という心の状態の時を考えてみた。

「好きな事をしたい」と「好きな事”だけ”したい」は似ているけど随分その中身が違う。自分はよく”だけ”がついた状態になっている事が多いなって思った。

その違いは”余裕のなさ”だと思う。
”だけ”というのはそれ以外は認める余地がないって事になる。
何事も、それ以外を認める余地がないっていうのは苦しくなる場合が多いんじゃなかろうかと思う。

何か自分のやりたい事があってそれをしている。
これが好きな事だったら問題ない。

けれど好きな事から少しばかりズレていく時や、やってみたら思っているより「好きな事ではない」という場合もある。

そうした時に”だけ”という気持ちだと、ほんの少しのズレでも認められなくなってくる。初めは多少の違和感から。続ける内に段々大きくなって。その内に分かりやすくストレスとして感じ取れるようになってくる。

一方、”だけ”がついていない時は多少の違和感や多少のストレスがあったとしても、こうした状況を認める余裕がある。だからズレたとしてもそんなにストレスを感じる事なく過ごせるだろう。

”だけ”が自分の中で出ている時って、まずその余裕のなさが強く出ている自分に気づく事が大事なのかもしれない。

きっと色々な事が見えなくなってしまっている。小さな可能性、これから大きくなるかもしれない何か。見逃してはいけない…と余裕があれば思う事でもその時には気づけない。

そういう事も往々にして起きているんだろうなあって感じる。



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