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ここ数年間の5月との比較。違いの検証から今の良さを考える

ここ数年間の5月は自分にとって本当に厳しい月であった。
今緊張感がありつつも忙しい日々を送っているのは、その時に比べるととてもいい状態だなって思う。

その時と今の違いって何なんだろう?
何がその違いを生んだのだろう?

これは今後のためにも記しておきたい。

過去数年間との違い

まず違いについて。

  1. 前向きな気持ちで生きている

  2. 望む形の仕事をしており、それなりに充実している

  3. 金銭的に逼迫していない

  4. 「先に自分が〜している姿を想像する。それから実際に行動する」の原則に則り動いている

  5. その結果、普段は選択しない行動を取るようになりチャンスと触れる機会が増えた

こんな所だろうか。

なぜこのような違いが生まれたのか?

正直一番は4.「先に自分が〜している姿を想像する。それから実際に行動する」の原則の影響である事は間違いない。
5月はとにかく税金関係の支払いが多い事と収支のタイミング的にどうしても金銭的に逼迫して厳しい思いになる事が多かった。気持ちが強く落ち込むのもこれが主原因だった。

割と4月は楽しくすごしていたり、暖かさと共に元気になってくる事が多い。それだけに5月の心地よい暖かさや涼しさと自分の落ち込み具合のギャップがあまりに激しく、何だか一枚自分の外に感覚を遮断した何かがあるような…そんな気になってしまう事もあった。

4.の原則はこの二ヶ月くらいでずっと話しをしてきている。詳しく知りたい方はぜひ下の2記事を読んでみて欲しい。あるいは日記に2日に一回くらいは登場するのでさらっと見てみてほしい。

なんとなく始めたこの原則。これ以前と以降では全く流れが変わっていると言っても過言ではない。

深く深く落ち込んでしまうというのは自分の場合「自分なりに一生懸命あれこれ考えたり動いたりしたけどもうどうにもならないと思った」という時に起きる。
一瞬で地の底まで落ちるので、外から見ていても気づかないと思われる。

この状態になってやっと誰かに助けを求めたり、気づいてもらって声をかけてもらって時間をかけながら立ち直る…みたいな事が起きる。

けど「先に自分が〜している姿を想像する」の原則を使うと、そもそもそこに至る事がない。いや、あるのかもしれない…けど今の所起きていない。

なぜなら「もうどうにもならないと思う自分」という姿をわざわざ想像する必要はないし、想像するならもうちょっとマシな自分を想像する事になるからだ。

これは決して言葉遊びではない。そして「思いっきりポジティブに生きていきましょう!」と言いたいわけでもない。
おそらくやっている事は、「引き寄せの法則」であったり「思考は現実化する」であったり、「マインドフルネス」であったり「瞑想」「NLP」「心理学」などなど様々なものに共通する何かなのかもしれないし、ついばんだ何かなのかもしれない。自分もこれらを熱心に勉強したり調べたり実践してみたりする中でここまで来ているというのもある。

ただ一旦これらから距離をおいて、完全に忘れちゃったくらいになった時にこの原則と出会う事になった。今思うと、例に出したようなもののあれこれで出ていた「言葉」ってこんな意味だったのでは????と思うようになっているだけなのだ。

意識の置所が決定的に変わる

話を戻そう。

「先に自分が〜している姿を想像する。それから実際に行動する」の原則

これを実践すると意識の置所が変わる。
すなわち「今」「今からほんの少しだけ先の未来」に意識を置くことになる。

歯磨きをするとしよう。
きっと歯磨きになれている人ならば、特に何も意識しなくとも歯磨き粉をつけたり磨いたり、口をゆすいだり…何の気なしにする事ができるだろう。

こういう時にわざと一つずつの動作を先に一瞬イメージしてからやってみる。これがこの原則でやる事だ。極端な例にはなるけど、別に大した事ではないし「わざわざやる必要ないやん」って思う事だろう。

けどこうする事によって一瞬で劇的に変わる事がある。
それは…

意識の場所が過去から「今・少し先の未来」に置き換わる

ということだ。だから何やねんってなるかもしれない。けどこれはとても大きい。考えすぎる人はどうして考えすぎるのか?ここに直結するからだ。

考えすぎる人とそうでない人も同じく未来について想像する事ができる。

けど往々にして考えすぎる人は「キラキラした素敵な未来」以上に「こういう不安が現実になるかもしれない。この危険を回避するには〜という準備を。あ、ここにも備えが必要…。え、これ私できるかな…」と不安や恐怖の回避のための予測をはてしなく広げてしまうクセがあったりする

その後起きる結果を見た時に、なまじ間違っていなかったりするから余計にこの傾向は強化されていく。かく言う自分もそうなのだ。

危険回避の能力を大切にしつつ

こういう能力に長けている部分は大切にしていいし否定する必要はない。
そして本当に必要な時はこれらの能力は必ず自分を助けてくれる。
ここはそう信じるというのも大事な事かもしれない。
けれど危険回避や未来の不安に意識を集中し続けるのはとてつもなく緊張感と疲労を伴う事である。夜襲に備えて徹夜で見張りを続けるような感じと似ているかもしれない。

1日なら保つ。けどそれが2日3日…と続けばどうだろう?

間違いなく疲れるし身体が言うことを聞かなくなる。けど自分以外に変わってくれる人がいないと思うと休む事すらままならない。

こうやって考えすぎてしまう人は考えすぎる事をやめられない沼に入っていく事になる。

一瞬先の未来のことだけに集中すると起きる事

「先に自分が〜している姿を想像する」というのは実際にやってみると、”それ以外、身体の中からなくなる”という感覚がある。
分かりやすく言うと、すごく嬉しい事とすごく悲しい事を同時にイメージして同時に味わう事が難しいのと似ている。前を向いているから前の光景が見える。だから後ろの光景は絶対見えない。これも感覚的には似ている言葉だ。

意識の置所が変わるというのは、とてつもなく些細な事でできる。
首の向きを変えれば前が見られるように簡単な事。

ほんの少しだけ先の未来に確実にやる何かをイメージする。そしてする。

たったそれだけでいい。少なくともそれをしている瞬間は「過去を参照する暇もゆとりもない」のだ。危険回避や未来の不安は、過去の自分のデータベースに基づいて割り出されたプログラムのようなものだ。そして不安や恐怖というものは尽きる事がない。そこにエネルギーを注げばどんどん膨れ上がるしかない。「意識を向ける」というエネルギーを注ぎ続ける限り。

「意識を向ける」というエネルギーの注ぐ場所を「今・少し先の未来」に注ぐと面白いことがたくさん起きる!

次回の記事ではこのあたりを詳しく書きたい。
今日はここまで〜!

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