自分の中の風通しを常に良くしておく②
前回のおさらい
良かったら前回の記事も読んでみてね!
「自分の中の風通しを常に良くしておく」
これは自分の身体的精神的健康をキープしておく上でとても重要。
「我慢する」という事で自分の中の風通しが悪くなるという事を書いた。
またここから脱却するために小さな行動パターンの変化を推奨するぜ!というのが前回までの話。
「自分の中の風通しが悪くなる」
我慢する以外にもう一つの大きな事について今日は書いていく。
干渉を受けると風通しが悪くなる
今回の話は万人向けではないかも。けど同じような気持ちを持つ人は一定数必ずいるんじゃないかなと思う。
自分の中の風通しが悪くなる時…
それはずばり、干渉を受けていると感じてしまっている時だ。
風通しが良いと思っている時は他者の干渉を受けていない。
けれど風通しが悪いと思っている時は必ず他者の干渉を受けている。
これはあくまで自分の場合だけど「我慢する」≒「他者の干渉に耐えている」という状態の時がわりと多いなと思っている。
他者の干渉とは
ここで言う他者の干渉とは一体何だろう?
”自分が自由にできると思っている範囲に踏み込まれる事全て”
これがここで言いたい他者の干渉を表す定義になりそうだ。
「自分が自由にできると思っている範囲」というのは人によって全然違うし、シチュエーションによっても全然違う。
だから、一般化して「ここまでが自由でココから先は自由でない領域だよ」と決めてしまえる性質のものでは決していないだろう。
自分が自由にできると思っている範囲はコロコロ変化しちゃう
”自分が自由にできると思っている範囲”とやらは先に書いたように、人によって全然違うしシチュエーションによっていくらでも形を変えてしまう。
そして困った事に多くの場合、その範囲を意識できている人は多くはないように思う。自分自身ですら自分の範囲を意識しづらいのだから他者の範囲を意識するのは余計に難しい。
また一度、自分なり相手なりを見極めたつもりになったとしよう。けれどその瞬間は三角形の範囲だとしても、次出会った時は台形になっているかもしれない。そういう類のものだから安易な決めつけはものすごく強い干渉を行っている事になり、相手の反感を呼び起こしてしまう。
干渉を防ぎ心地よく過ごせるようにするためのコミュニケーション
だからこそコミュニケーションというのが重要になる。双方の対話を通して、適切な距離感を構築していく事になる。
その場その場でお互い納得できたり、ある程度の話し合いや確認の元、契約を結ぶ。こうすることでお互いに過干渉にならないようにする事ができる。
よく自分は「後出しジャンケンが嫌い」と思う事があった。
後から後から相手に都合よく(自分にとっては思いもよらぬしんどさを持って)捻じ曲げられてしまう時にそう思ってきた。
「そういう事は最初から言ってよ…」という感じだ。
一度ならず二度三度と繰り返されると、煮えくり返るような思いになっていく。
最初から完璧な距離感を創る事は難しい。というか不可能だろう。だからこそ時にはぶつかったり、軋轢を感じつつも対話を重ねその時に応じた回答をだしていく事が必要なんだと思う。
対話に応じ続けるだけが答えではない
ただこう書いていると、とにかく粘り強く向き合い続けなきゃいけないようなニュアンスが強いように見えてくる。これは得てして①にも書いていた「我慢する」という事に直結しがちな意味にも見えてくる。
果たしてそこまでしてでも粘り強く続ける事が必要なのだろうか??
今思う答えとして、「自分自身の意思を示す」という事は必要だと思っている。ただし論理的で相手が納得できるような証拠や説明は必要ない。
むしろそこはそんなに大事じゃない。
だって自分が自由にできると思っている範囲は論理でできていないし相手が納得できる証拠なんかないんだから。
「なんで(食べ物)好き嫌いするの!?」
って嫌いなものの理由を問われても「嫌いだから嫌い(←自分の意志を占示す)」となるのと一緒だと思う。
なのでもしコミュニケーションを続けるのであれば、こういう意思(嫌いなものは嫌い)が判明した時点でそれを相手の中でどう変化させていくか(どう嫌いじゃない方向に相手を変えていくのか)というコミュニケーションではなくて、嫌いな事は認めて尊重した上でお互いにとって別の手がないか模索していくべきなんだと思う。
言うは易く行うは難し…ではある。
その結果として嫌いなものは嫌いが変わる時もあるかもしれない。けどそれは結果論であって目的にしてはいけない。目的にしている限り、相手を認め尊重しているとは言えない。そして不思議な事にこういう微妙だけど決定的な違いは相手に伝わってしまうし結果にも大きく響くもの…だと思っている。あくまで経験則だけどものすごくたくさん事例を見てきた。
風通しの悪さが生むもの
そう言えば風通しが悪くなるってなんやねんって事全然書いてなかった。
あくまで自分の場合だけど以下に列記。
体調が分かりやすく悪くなる
心理的負荷がかかった状態が解消されない
新しい発想が出づらくなってくる
ストレスへの耐久値がいつものさらに半分以下くらいになる
風通しの悪さを生む原因となる場所や関係性に近づくのが嫌になる
発生原因となる対象とのコミュニケーションを取りたくなくなってくる
あからさまに不機嫌になる(のを抑えられなくなってくる)
良いところより悪いところが目につくようになる
こうした変化に気づきつつも手が打ちにくくなる
動けなくなる
こんな感じ。逆に風通しの良い時はこれの逆が起きると言っていいだろう。
干渉を許容する程度を互いに確認する≒契約するという事
これは先程ふとふってきた言葉だ。
本来の契約の意味とは違うかもしれない。
けど仕事でもプライベートでもなんでもいいんだけど、ある種の取り決めを口頭や紙面で確認し納得の上成り立ったものが契約と言えるだろう。
とするならばこれは干渉を許容する程度を互いに確認する事とも言えるのではないだろうか?
この話のはじめに、「自分が自由にできると思っている範囲」はシチュエーションによっても変わるという事を書いた。
仕事上だったら許せるけどプライベートだったら違うよなみたいな事って多いと思う。まさにこれ。
契約した事と違う事を求められると「そこまでする必要はない」と感じたり「そんなに要求される筋合いはない」と思ってしまう事もある。はじめはコミュニケーションを通してやんわり方向を変えたり、対話を続けたりするけど…それだけでうまくいかなくなってくる事も残念ながらある。
そういう時こそ、「意思を示す」という事が必要な時だろう。
それまで培ってきた関係性や人情からなかなか意思を示す事すら躊躇われる場面もあることだろう。けれどここは踏ん張りどころ。
相手がどう受け止めるかは向こう次第。自分にコントロールできる事ではない。だからそこまで考える必要はない。それ以上に干渉を受け続ける事への自分のデメリットの大きさを考えるべきだ。
自分のことを真に尊重してくれる相手ならば、あるいはそれが許容できうるシチュエーションなら自分意思を示す勇気を出した事によって方向は単純に我慢した時と比べて大いに変わってくるだろう。
結果的に自分の意思が尊重されないという場合は、自分自身がはたしてこの関係を継続するべきなのかどうか考えて行動していくいい機会をもらったと考えるべきだ。そしてすぐさま動くべきだ。
風はいくらでも吹いている。
ここにしかないわけじゃない。
ゆめゆめ忘れるなかれ。
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