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「わたし」を写す。

最近、自分の土台ができてキャラクターが固まりつつあるのを感じる。
自分にキャラクターがあってそれを上手く表現できるようになるとかなり生き易くなる。
今回はそんな私のキャラクターについて少し掘り下げてみる。


これまでの生き方

これまで結構、根無し草的な生き方をしてきたと思う。
職を転々としてきたし、働いていない時期も沢山あったし、その都度打ち込んでいる事が変わっていた。
だから久しぶりに会う友人との会話はいつも「今は何してるの」という質問から始まった。

就職して、会社を辞めて、自分の会社を立ち上げて、廃業してまた雇用されてという繰り返しだった。三度設立した会社は全部違う業種だし、再雇用される仕事も全くの異業種ばかりだった。
学研教室の先生、アフィリエイトの会社設立、居酒屋スタッフ、ホテルの購買事務、投資会社設立、棚卸専門職、日雇いの工場勤務、携帯の販売員、飲み屋スタッフ、WEB制作会社設立、現場の荷揚げ、健康器具の販売員、介護職員、占い師、そして現在3年目になるデザイン会社設立。

傍から見れば何をしたいか分からない私の人生だけど、私の中では一本の筋があって、それに従って学生時代から行動している。
私は効率化とか最適化とか大好きで、無駄を省いてスマートに、出来る限り苦労を減らして生きたいという考えが中心にある。
その思考の結果、出来る限り色んな経験を積んで自分の能力を高めることが最終的な楽に繋がると考えている。

目先の楽を考えれば、働きやすい環境でそこそこの給料をもらって、変化を恐れて新しい事を始めずに、特定の小さな世界で自分の居場所を作り続けるほうが良い。けどそのポジションや能力って一歩外の世界に出たら通用しないし、その世界が無くなったり追い出されたらもう行き場がなくなる恐ろしい事だと思う。

だから私は、仕事は雇われるより自分で開拓した方が自由だと思うし、際限なく稼げるし、柔軟に動けるから世間の変化にも強いと思う。さらに違う角度から考えると、見た目は美しい方が人に信用され易いし色々と優遇され易い。コミュ力があった方が何事もスムーズに齟齬無く自分の意見を通し易くなる。
そう思いながら、楽をするために様々な能力を身に着けていった。
そういった意味では今のデザインという仕事も、様々な要素から最適解を選び出すという点では自分にピッタリだなと思う。

ここ何年もずっと仕事ばかりだし、常に将来の事で頭がいっぱいだし、真っ当な休日だと思えた日は無くて、考え事も多いし、選択を迫られる事も多いけど、自分が中年になった時に自由に自分らしく暮らすためには今やるしかないという気持ちでいっぱいだ。

いま、今後の自分が楽をするための努力を結構やってて、本はかなり読むし、新しい体験は気が重いと感じても積極的に踏み出すようにしているし、嫌いな人の考え方も跳ね除けずに一旦理解しようとしてみたりする。
そうやって自分をアップデートし続けていく人生。


自分というキャラクター

傍から見れば何をそんなにする事があるのかってくらい仕事仕事で、急に音信不通になるほど頻繁に没頭しているし、とにかく毎日忙しくやりたい事をやってる。
だから今この瞬間を切り取ってみれば、傍からは色んなベクトルで努力しているように見えるが、それは熱血ではなく、私からすればただ、いつかの未来に楽をするための行動だと思っている。

私は根っからの仕事人間というわけではなし昔から努力できるタイプでもなかったから、私の印象って、仕事に情熱を持った強い男性像というよりは、柔軟性もあってゆるい雰囲気といった感じだと思う。けど信念は曲げない根っこが頑丈なタイプ。
そういった様々な考え方を組み合わせた結果、自分というキャラクターが出来上がっている。

そのキャラクターを忠実に体現したのが被写体としての自分だと思う。

かといって、被写体をしたからキャラクターが生まれたわけではなく、そういった性分はもともと自分の中にあり、そのありのままを写し出す事が被写体活動だと思っている。
これまでの選択の積み重ねで今の自分があって、それを被写体として表現することで、自分でも理解しやすくなったり、外側からも見えやすくなっている。
これが私の言う「キャラクターを上手く表現する」ということだ。

元々あったそういった様々な要素を何らかの形で(私の場合は被写体として)表現したことによって、より一層自分という軸が安定してきたように感じる。


キャラクターと物語

被写体活動を通して自分というキャラクターを切り取ってもらう事で、自分が確立して生き易くなっている実感がある。
これまで以上に生き易くなったのには、明確にキャラクターの確立と関係がある。

人生は物語でてきている。これからの物語の展開を予想することはできないが、物語の上でキャラクターがどう動くかは予想ができる。

この数年で世界は大きく変わっている。
コンピューターの登場やAIの実用化やコロナウイルスによる社会の変化など、予想出来ない事が凄い頻度で起こっている。
これらを全て予想して生きることはできないし、今後も社会に何らかの変化が起る事は想像できるが、実際に何が起こるのかは予想できない。
しかし予想ができないから行動出来ないかというとそうではなくて、自分のキャラクターによって最適解を選び続ける事でより良く生きる事はできる。

「キャラクターによって最適解を選ぶ」とは、少年漫画の主人公をイメージすると分かり易い。
例えば自分の友人の周りで問題が発生したり、そのため急な変化が必要だったり、それによって自分が苦しい状況に陥る場合など、大抵の場合その先の事なんて分からないから何か理由を付けて諦めたり逃げたり気づかないフリをしたりする。
けど、「少し考え足らずだけど熱血で味方思いのキャラクター」の場合、その先の物語がどうなるか大体想像できるだろう。
自分が苦しかろうが、大変な目に合おうが、困難だと分かっていても、悩む事なく誰かのために真っ先に動き出すだろう。

そんなキャラクターが、「まずは様子を見て、次にルールを確認して、さらにメリットとデメリットを考えて、最後に事故対応を考えてから、周囲の人に判断を仰いでから行動しよう。」とはならないだろう。
これが、物語を想像するよりも、明確なキャラクターを作り上げる方が簡単に物語の展開を想像できるという理屈だ。

私は被写体活動によって、自分というキャラクターを手に入れた。
それによって、理由を付けてやらなかったり、後回しにしたり、言い訳したり、見なかった・気づかなかったことにする自分が少しずつ居なくなっている。

私は常にカッコよく居たいし、最適解を選び続けられる人間になりたいし、影ではこっそり努力し続けたいし、出来ない事はない方が良いし、何かに熱中できる人になりたいし、どれだけ成長しても自己中になって他人を非難する人にはなりたくないし、誰かに手を差し伸べたいし、常に余裕を持って居たい。
私は写真の中でそんな自分を表現しているし、実生活でもこのキャラクターを演じる事でネガティブで無駄な思考をする必要がなくなり、「この人ならこうするだろう」を選択し続ける事ができている。


何を写し撮るか

最近、「写真を撮る」にも様々な意味があると感じる。

例えば夏の、凄く日差しが強くて澄んだ空の下で、辺り一面に咲いたひまわり畑を撮りたい。という欲があったとして、それはとても綺麗な青と黄色の対比の写真が撮れるだろう。
そこにもう少し情緒を加えるために人を置きたいと考えた時、それは風景撮影からシチュエーション撮影に変化するだろう。
黒いストレートの髪に麦わら帽子を被って白いワンピースを着た女性。
夏の日照りによるじっとりとした暑さを感じつつも、花畑に吹き抜ける風が少し涼しくて気持ちよさを感じる様子。人物のおかげでより一層夏っぽさを表現する一枚になるだろう。

しかし、「この写真に誰か人が欲しい」と感じた時、それは「黒いストレートの髪に麦わら帽子を被って白いワンピースを着た女性」が欲しいのであって、「あなた」が欲しいという意味ではないのだ。
それは私の目指す人物ポートレートではないように感じる。
(カメラマン側の理想としてシチューエーション撮影をしたいならば手っ取り早いのはそういった適任者を採用することだろうが、わざわざ私がその一役を担う必要はないのかなと思う。)

私は被写体として、「このシチュエーションに”あなた”が欲しい」を作り上げる事が重要だと思う。そのためには、こういったnoteなどでの自己表現が必要だし、カメラマンとの対話も必要になってくる。
そして理解してもらうという事。
より良い写真を生み出すために、逆に私も、カメラマンの「こう撮りたい」を理解する必要がある。

私は、「このシチュエーションに”あなた”が欲しい」を叶えてくれるのが今のカメラマンだと思う。
「わたし」を写し撮るために、ただ私の表面の良さを評価して写したいと思うのではなく、私の人柄や生き様を知り、どんな表情が自然で、何を考えて撮影に挑んでいるのかを汲み取って写し出してくれる。
だからこそ「わたしらしい写真」が生まれるのかなと。

そこには、関係値の低い「ビジュが最高に良い被写体×撮影技術がとても高いカメラマン」には生み出せない、もっと深みのある写真を撮るためのナニカが詰まっている気がする。


被写体としてのわたし

内面まで透けて見えるこの被写体活動で、私はカメラを前にして全てを見透かされる。だから表面を取り繕うだけではなく、内面から輝ける自分、自信を持った自分になる必要があると思う。
もちろん表面を磨く事は前提条件としてあって、それ以上に、自分だけの表現を見つけるために、もっと頑張って輝きたいなという気持ち。

被写体活動って本当はそんな難しいことはなくって、ただ外見が良ければそれで良いのかもしれないと思う時もあるけど、やっぱりあのカメラを向けられる瞬間に、最高に自信のある自分を作り出すためには、人生頑張らなきゃなという気持ちになる。

ただこれまでは可能な限りできる事を増やしていく人生だったけど、それってただのオールラウンダーが出来上がるだけで個性ではないと思う。
キャラクターを作り上げるためには、出来ない事・やらない事を明確にしていく必要があるなと感じるので、ただただ努力し続けるだけではなく、何をしないかと言う事に注視しながら生活していきたい。

この面白くて、成長を感じれる被写体活動、もっとやっていきたい。

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