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孤独化する世界で見つけてもらうために

最近、世の中はどんどん孤独化していると感じる。
そんな孤独な世界で生きて行くための考えを書きたい。

また同時に、被写体活動を始めてもう1年が過ぎている事に気が付いたので、これまでを振り返りつつ今後の活動についても考えていきたい。


孤独化する世界とは

「マスク社会のせいで、卒業まで同級生の顔を一度も見た事がない」というニュースを見て、普通の青春を送れなかった彼らは今後どんな人間関係を作り、どんな人格になるんだろうかと思った。

今の社会ではそういった事を含む様々な変化を背景に、特定の友人以外の、ちょっと距離のある人との関係構築に対して積極性を失っているように感じる。
それは、人間関係を無理に広げなくても人生が楽しめてしまうからだと思う。

仕事や学校などの苦しい環境の中で頑張る努力を放棄して、アフターファイブを全力で楽しむという生き方。
出世欲を失い、低賃金を甘んじて受け入れ、それがその他大勢の中のひとりである自分にとっての現実だと妥協する。
何か特殊な条件を満たさなくたって、余暇時間ではピッコマ、ネットフリックス、tiktok、instagram、twitterなど誰にでも平等で半永久的に時間を潰せるコンテンツで溢れている。
もはや無理してまで人と関わる必要などないのだ

これまで以上に趣味に没頭して生きることで、自分の人生における他者の必要性は薄まっていく。
そして恋愛にも消極的になり、未婚率が上昇し、低賃金の独身で溢れかえっているのが今の世の中だと思う。
そして広がる格差・・・


新しい時代の人間関係

「ちょっと距離のある人との関係構築に対して積極性を失っている」と書いた一方で、新しい形で他者と繋がる方法は増えている。
それは従来の「身近に居ながら接点がない人と繋がる方法」ではなく、「物理的な距離に関係なく趣味や夢などで接点を持つ人と繋がる方法」だ。

自分が何者であるかを発信することで、それに興味を持った人と繋がれるようになった世界でのメリットは沢山ある。
しかしその反面、何の能力も持たない人達にとって、自分はこの世界に必要なのかという不安が加速しているようにも感じる。

ネットを開けば至る所に自分の上位互換が存在している。
才能や環境に恵まれた人を見ていると、自分の努力が馬鹿らしくなる。
だから向上心を失い、そのせいで平凡化し、他人と差別化できなくなったことで自分の存在がさらに薄れていく。
だから目立つために、一生懸命自分の存在を表現するために、お店の醤油を舐めてSNSに投稿してみたりする。
・・・なんて話が逸れ過ぎた。

とにかく私達は少し前から、生き方においても、人間関係においても、自分の存在証明の仕方についても、新しいフェーズに突入している。
現代では自分が自分であるために、私たちは発信を続ける必要がある。
自分は何者なのか。自分には何ができるのか。何を作り出す事ができるのか。

憧れの人や、繋がりを持ちたいと思った人に出会い「あなたは何者ですか。」と問われた時、どう答えるだろうか。
私達はその時に、ひと目で自分が何者か分かるポートフォリオを用意する必要がある。そうしなければあなたは単なるその他大勢の内のひとりでしかなく、何の興味も持たれずに終わるだろう。

私達がSNSで多くの人を様々な面から判断し瞬時に受入/拒否するのと同じように、相手も私達の事をとても簡単に受入/拒否する。
「この広い世界の中で出会えたご縁」というだけで繋がり続けられる時代は終わったのだ。

これからは発信が重要になってくる。
表現すること。作ること。真似すること。挑戦すること。新しい可能性を示すこと。なんだっていい。
発信する人は、どんどん人と繋がっていく。
一方で、発信しない人はそもそも認知される事が無く、より一層孤独化していく。


発信を続けてみて。

では私は実際にこの一年間、被写体活動を始めて、発信を始めて、どのように変わっただろうか。

まず間違いなく言えることは、いくつかの繋がりを持つことができたということだ。
それは単に繋がれたという喜びだけではなく、私の事を見つけてくれて、私が何者であるか判断してくれて、その人の審査を通過したという証明である。
さらにいえばこれは何らかの目的を持って生まれた繋がりであるため、関係の終わりが見えないのが良いところだ。

これまで繋がりを求めて社会人サークルに入ってみたり、スポーツチームに所属してみたり、飲みコミュニティに入ってみたりと様々な行動をして来たが、いまは何も残っていない。
一時の寂しさが埋まって、一時的に友達がいるように感じただけだった。
娯楽に溢れる現代では、そんな希薄な関係の知人は必要無い場合が多い。

一方でこの発信活動から繋がれた人とはアイディア共有ができるし、情報交換もできるし、更なる挑戦を共にしていきたいと思えて最高だ。
さらに私の活動を拡散してくれるなど、有意義な関係が築けていると感じる。


発信のこれから

活動を始めた事によって様々な気づきや成長があったが、現状ではまだ、「世界が少し広がったかな。」程度のレベルだと思う。
今の私はまだ何者でもないし、特別なオリジナル性を持っているわけでもないし、見つけてくれた人が興味を示すようなコンテンツを用意できているかと言われるとまだまだだと思う。

でもあと少しで、自分だけの作品や、自分だけの立場を獲得できそうな気がする。
それは勿論、被写体活動を始めてみたからこそ手に入る結果だし、これまで学んできた事ややってきた事が結びついたことによる成果でもある。
続ければ続けるほど、新しい芽が出てきそうな予感がする。

私もそうだし、恐らくほとんどの人は、新しい事を始めてみてから1年続くという事自体が滅多に無いように感じる。
私はこれまで様々な事に挑戦してきたが、今も継続出来ている事って結構少ない。
1年続くというだけでも稀なケースなのに、その結果が【世界が少し広がったかな。程度のレベル】って結構地味な気がする。

しかし私は、面白そうな未来が見えているからまだまだ止まる事はないだろう。
それに多分、これでも成果の出る具合としては格段に早い方だと思う。
2年やっても3年やっても何にもならないなんてことも結構ザラにある。いやむしろそちらの方が多いのではないだろうか。

私の場合は、これまでの活動が被写体活動と上手くマッチしている事に加えて、良い繋がりが連続して生まれているからこその成果スピードだと思う。
そう考えると、孤独な現状を変えるために何かを始めたり、今の自身を発信していったとしても、それが実を結ぶのは何年か先だと考えると結構気が遠くなりそうだ。

それでも、自分を表現する事を辞めてはいけない。
人生を前向きに考えるなら、自己を確立した方が幸せだろうし、孤独にならないためにも、発信し続けて行くしかない。

私はやっている活動内容に合わせてnoteやinstagramやtwitterはアカウントを使い分けている。
それぞれに専門性を持たせて発信したいと思うし、何者かになるために多くの事を詰め込み過ぎるのも却って分かりにくくなると思う。

このアカウントでは、被写体として生きる私を表現し、そして新しい繋がりが生まれたら面白いと思っている。

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かなりネガティブな面のみを切り取った内容になったかもしれないが、私はもうすぐ30代に突入するため、昔よりも新しい事を始めるハードルが上がっているように感じる。なので、より一層危機感を持って積極的に新しい事に取り組んで行きたいという意味を込めて、今回の記事を書いてみた。


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