三遠南信のバイブスとお茶の巨大企業

先日、星読みyujiさんのマガジンでこちらの記事がリリースされました♪

Sorry,有料記事です♥


三遠南信という言葉、私は初めて聞いたのですが・・
他の読者さんもコメントされていましたが、確かにこれらの地域、言葉のイントネーションや食習慣などが似ていると感じることが多いです!


本文中で、この土地のバイブスが示すような企業や有名人の方をいくつも紹介されていましたが、読みながらハッと気づきました。



「あれ、伊藤園もじゃね・・・?」



お茶の巨大企業「伊藤園」


そう、われらが茶業界の巨人「伊藤園」さん。

創業は静岡県静岡市で、最初は小さな製茶会社だったそうです。
(でも創業時の会社名が「フロンティア製茶株式会社」!さすが!)

当初から首都圏進出は視野に入れていたようで、横浜に支店開設。
ちなみに茶の歴史上、横浜は輸出港としてかなり重要な位置を占めていて、明治時代には茶の再生(仕上げ工場)もたくさんあったそうです。

そして1970年代とかなり早い段階で本社を東京に移転。

しかし緑茶飲料のメイン工場や研究所は地元・静岡県の牧之原市という茶処に置いていて、今でもガンガン現役稼働中です。
ちょうどyujiさんが書かれている三遠南信の「遠」のエリアです。

正直な話、ウチの茶園(掛川市)近辺の農家や製茶工場さん、かなりの割合で伊藤園さんの子請けや孫請けの製茶工場に生葉を卸してます!(爆)



伊藤園がすごい理由


なぜ伊藤園がすごいのか。
それは人とお茶とのかかわり方や、お茶の生活の中でのポジションを完全に変えたからだと思います。


それまで、お茶というのは自宅なり訪問先なり、とにかく「屋内で」「やかんや急須など設備や道具がある環境で」淹れるのが当たり前で、それしかできなかったと思います。

しかし1980(昭和55年)に伊藤園が「缶入り烏龍茶」を開発・販売。
続いて1985年に「缶入り煎茶」を販売開始。


これにより、「液体のお茶を携帯できる」「屋外で購入できる」という世界線が生まれたと思います。

これは日本のみならず世界を変える大きな一歩だったかと。

いま当たり前のようにコンビニでペットボトルのお茶が並んでいますが、しかも緑茶、ほうじ茶、烏龍茶などバラエティも豊富ですが、このすべての始まりは伊藤園のこの一歩だったのではと思います!

ちなみに気になる紅茶系も、
・午後の紅茶(キリンビバレッジ)1986年発売
・ジャワティー(大塚食品)1989年発売
・紅茶花伝(日本コカ・コーラ)1992年発売
と、伊藤園の缶入り煎茶以後です。

さらに伊藤園は、茶葉業界で初めて包装茶に「製造年月日」「賞味期限」を表示したそうです!

それまでは、たぶん水分率が極端に低い乾物状態のため保存が効くという理由で、茶に賞味期限が設定されていなかったのだと思います。

そのほかにも、企業サイトで「沿革」をみるといろいろと業界の先頭を切っていろいろ革新的なことをされてきたみたいです。


ちなみに、現在ペットボトルのお茶を販売している国内大手4メーカーのうち、キリン・サントリー・アサヒは、酒類製造が大元の事業で、他にもジュースとか飲料全般ひろく扱っておられます。


しかし伊藤園は、ほぼお茶事業一本!
一点突破、お茶だけで勝負!

そしていろいろマネされても、競合他社が出てきても、資本の大きい会社が参入してきても!
「茶飲料」というジャンルで圧倒的な地位を築いていると思います。

yujiさんが記事で書かれていた三遠南信のバイブスに、見事に合致するなあ~と感嘆した次第でした。



おまけ

フルーツたっぷりのタルトが大人気の「キルフェボン」も実は静岡創業です!

1992(平成4)年に静岡市街地に1号店ができ、その上階に本社事務所がありました。私も静岡本店時代、何度か行ったので覚えています。

その後、店舗拡大していった2000年代に本店(キルフェボン的にはグランメゾン)は銀座に移したみたい。
でも本社は現在もまだ静岡にありました!

この会社も、当時洋菓子の中でまだ認知度が低かった「タルト」に特化して一点突破し、日本における洋菓子ジャンルの一角をイノベートした企業だなあと感じます!


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