木曜日の追憶  

小学4年生の頃、フジテレビで『世にも奇妙な物語』が始まった。
文字通り奇妙で恐怖に満ちた内容に夢中だった。
この番組の他にも、UFOやオカルト現象、ビッグ・フット他の未確認生物を扱った本が好きだった。
「世界って広いんだ!」 
と素直に思った。片田舎に住む10歳の自分には、「木曜8時」を含めてどれもこれも好奇心をそそる物ばかりだった。

あれから30年以上経過した今、とあるドラマの酷評レビューを読んで妙に共感している。普段、日本のテレビドラマは見ない。だが異様な持ち上げ記事に辟易して(去年もそうだったっけ)、食わず嫌いも良くないと思い、チャンネルをフジテレビに合わせる……と、何やら耳を疑う台詞の猛威。昔から「馬の耳に念仏」と言うけれど、「世田谷の一軒家で念仏」は初めて聞いた。
 
オレゴン州の小さな町から、ひと夏の冒険に旅立った少年「4人」を思い出した。あの年齢しかできない経験をしたおかげで、帰り道の顔つきは何かが変わっていた。台詞にしなくても、痛いほど伝わってきた。ほろ苦い旅を通して、彼らは生涯忘れられない記憶を持ち帰ったのだ。

『世にも』も、『スタンド・バイ・ミー』もその昔、フジテレビで放送している。そんな遠い時代を振り返る時間も予算も余裕も、批判に対する謙虚さも皆無らしい。
最終回のラスト、まさかあのように自己申告したことが成長だと思っているのだろうか。残ったマグカップに重ねた捨て台詞を聞いて、ズッコケてしまった(笑えない喜劇か)。
大きな内面の変化を書けない、書きたくない。もし作者がそう思っているなら、書き手の仕事を放棄していることに等しい。

このドラマを評価する記事がヤフーニュースに上がる度、吐き気がするほど嫌な気分になる。まともに脚本(および映像)を学校で習ったことがあるなら、誰だっておかしいと気付くはず。まるで批判をかわすために、月9ばかり槍玉に上がっているように思う。いつぞやのステマと変わらないのではないか。
もう一つ、金曜ロードショーを見て気付いたことがある。

「この家は僕が守る」

さて、マグカップを残した4人は何を守ったの?
おそらく初回から続けて見たところで、そんなに変化はないはずだ。外の世界と本気でぶつかろうとしない、誰かを本気で愛すことも、友達を本気で大切にすることも、きっとない。そんな4人を有難がるなんてどうかしている。

やっぱり、いろんな意味で木曜は「奇妙」だ。
物語を舐めるのも大概にせよと言いたい。