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王様の正体 3

 日に照った帰り道は、昨日と何一つ変わったことはありません。稲が揺れ、空は青く、鳶が悠々と泳いで烏と諍いを始めます。始め烏は勢いよく嘴で鳶に当たるのですが、鳶も簡単には退散しません。しばらくの間、互いの羽を捥ぎ取るかのように叩き合い、仕舞いには鳶の方が彼方へ逃げていきました。
 マサルは指を差しました。そこには例の男が同じ黒いマントを着て佇んでいます。遠くからでも不適に笑みをこぼしています。
「おっちゃん、なんでも龍にできるって言ったよね。これでもう一回、龍を見せてよ」
 石をつかんで由雄が言うと、男は笑いました。
「龍はお前たちを味方にするかは保証できぬ。飛びかかっても知らぬぞ。私にも想像できぬほど大きくなるからだ」
 まるで山全体が黙り込むようでした。風も、鳥たちも、稲すらも、動きを止めたのです。大地が息を呑むほど静かです。何か、得たいの知れない大きな存在を迎えるようでした。果たして獣は赤子のように泣きました。それは陽の光を目一杯含んだ龍でした。白い鱗が黄金色に染まり、破裂しそうなほど光を湛えて、青い空を我が物顔で泳いでいます。  
 静かに目を開けた由雄は、呆然と眺めていました。
「私は王様だ。この龍はお前たちに見せるため連れてきたのだ。背中に乗れば、山の向こうに行けるぞ。さあ、選べ。こいつに乗れるのは一人だけだ」  
 その時、マサルの手が由雄の肩に伸びました。龍の目はぎろりと動き、由雄を捉えました。戸惑う間もなく、龍の背に跨りました。硬く、これが家の戸棚にある同じ鱗には見えません。あれほど燃え盛っていたのに、不思議なほどひんやりとしていました。細目でマサルを見ると、微笑んでいます。それはどの顔よりも頼もしく見えました。
 こうして龍は一人の少年を乗せて昇りました。由雄は薄っすらとした目で地上を見ています。マサルは懸命に手を振り、やがて米粒と変わらないほど小さな点に変わりました。生まれた村がこんなにも縮んだのは初めてです。みんながいる学校もあっという間に見えなくなりました。
 やがて山の頂に降りました。そこは円状の広場のようです。
「ここは山のへそだ。俺たちはここで村の様子を見ている」
 龍は言いました。
「もちろん、お前たちの背も含めてだ。マサルは一族の子なんだ。いつも下界を見ていた。お前は信じないだろうが、あいつは人間の友達が欲しかったのだ」
 由雄は言葉を失い、ただ聞き入っています。
「お前は、いい友を持ったな。もしマサルがお前の背を押さなかったら、二度と山には返さぬつもりだったのだ。俺たちはお前の家をずっと昔から見ていた。じいさんがたった一人で賊を追い払ったその日から、ずっとだ。お前が産声を上げ、村の小さな学校へ向かった七つの頃から、マサルは知っていたのだ。あいつにとって、下界の人間との接触は試練でもあったわけだ」
 まさか、と由雄は山を見下ろしました。当然人は見えません。
「同じ姿で会うことは二度とないぞ。人の世に降りた以上、自らの力で龍に戻る他ない。その日まで待てるかな。辛抱強く、待てるかな」
 龍は由雄を下界へと戻しました。
 夏休みが終わり、教室の席が一つ空いていました。先生によると、マサル君は急に転校したと言います。クラスのみんなは特に驚くこともなく、マサルがいた席に振り返ることもしませんでした。
 由雄はただ一人、斜め後ろにある空席に目を向け、ついこの間まで笑っていた友達の顔を思い描いていました。
「お別れ会を開こうと思っていたけど……みんな、どこかでマサル君に会ったら、声をかけてくださいね」
 先生は涙目でその日の授業を終えました。

(つづく)