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漢字で感じる人間学33(観光とは?・観その2)

「観」は神聖な鳥から視る視点でした。遥か高い上空から、地上が一望に見渡せる様なところで、ワーッと地上からの情報が一斉に入って来る様な状態。これが「観」です。

そして、「観」は複合的な感覚でもあります。主に視覚ですが、聴覚、嗅覚、触覚、味覚など、他の感覚も交じって、それらが一斉に自分に入って来る様な感じ。ある種の「受け身」の様な感じでもあります。

「観光」は、「見光」とは言いません。単に遠くの名所に旅行に行ってその風景を見るだけではない。その場所特有の自然や街並み、建築物を見るのも勿論大事なことではあるのですが、それ以外にも、そこで生活している人の思いとか、そこで生きてきた人々の歴史、というものもあります。この場合の「光」とは、目に見える光だけでなくて、そこに生きる人々の思いも含んだ「情報」と言ってもいいでしょう。

ちょうど、テレビやラジオの電波がそこに情報を乗せて飛び交っているのと一緒で、過去から現在までずっと積み上げてきている人々の思いというものが、その土地にあります。その情報に触れる(=触覚)、そこで生きている人の話を聴く(=聴覚)、その土地が発している匂いに触れる(=嗅覚)、その土地の料理に舌鼓を打つ(=味覚)・・・・・・と、五感すべてを使って、その土地が発しているものに触れて味わう。これが「観光」です。

観光地に行って、名所を巡って、そこで暮らす人々の雰囲気に触れる。そして宿に着くと、旅館のおかみさんのあたたかいおもてなしがある。これらすべてを含めての「観光」です。「観」の意味するところが伝わってきませんでしょうか。

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