【丗の夢】廿玖の夢 笑う美術館

 若手のお笑い芸人と四ヶ月ぶりに居酒屋で会っていた。
「やっぱりユーチューブやるしかないんですよ」
 芸人の彼は言う。漫才もコントも、どちらもやれる場がほとんどなくなってしまった。各地への営業が飯の種だった彼は、今とても苦しい状況に追い込まれていると言った。そこで遅まきながらも動画配信をやろうとしているらしい。で、やったことがないので、手伝って欲しいと相談をしてきたのだった。
「そうだね。やれるなら動画配信もやった方がいいと思うよ。僕でよければ、手伝うのはぜんぜん問題ないから」
 助かります、と喜びながらも、しばらく呑んでいるうちに、「やっぱり、ライブやりたいなぁ」と呟いた。

「やればいいじゃん?」
「どうやってですか?」
「いや、路上でもできるだろうけど、例えばさ、ドライブインシアターみたいに、車に乗ったまま観てもらうとか。それをショッピングモールとコラボすれば、モール側は集客に使えるかもしれないし、こちらはギャラがもらえるっていう互いにWIN-WINな何か新しい営業のカタチとかになるんじゃない? そういったものを模索してみるのは、これからは特にありなんじゃないかと思ってさ」
「なるほど」

 そんな話をしながら、ふと一月ほど前にあった美術館館長とのことを思い出していた。そういえば僕は館長に刺激されたのかもしれないなあと思ったからだ。

 館長はとても先進的でユニークなことを常に探し求めている人だった。
「ねえキミさ、美術館へ飾るに相応しいものって、一体なんだと思います?」
 館長はそう僕に尋ねてきた。
「まあ絵画とか彫刻とか、いわゆる芸術なんじゃないかと思ってましたけど、違うんですか?」
「いや、違いませんよ。ただ、じゃあ、芸術ってなんだと思います?」また新たな問いを投げてくる。
「その質問は難しいですねぇ。あんまり考えたことないですから。そうですね、んー特別に優れた作品ですかね?」
「なるほど。私の意見とはちょっと違うかもしれませんね」館長は笑う。
「教えてください。館長の思う芸術ってなんですか?」
「それを簡単に答えちゃうと、面白くないでしょう。あー、ではさっきキミは特別優れた何かと言いましたけど、それを特別優れてるって決めているのは誰だと思いますか?」
 また、質問だ。
「それは、その分野で造詣が深い人。例えば、それを学問として研究している人とか?」
「お、すごくいい答えです。キミは見込みありますね。それじゃそれをさらに突き詰めて考えてみてください。学問として研究してるってことは、どういうことだかわかりますか?」
 僕は、だんだん館長の言わんとしていることがわかるような気がしてきた。
「なるほど、それは今わかっている現状としての結果でしかないと言いたいのですかね?」
「おー、いい考え方じゃないですか。そういうことです。察しのいいキミなら、もうわかっているかもしれませんけど、芸術と皆が認めているものっていうのは、歴史と統計に基づく思考の結論ということなんです。では、その歴史と統計から外れた新しいものは、芸術ではないということなのでしょうか?」
「いや、違いますよね。その時は認められなくても、のちに素晴らしいと言われたものはたくさんありますもんね、ゴッホとか」
「そういうことです。アンディーウォーホルのキャンベル缶もそうです。新しい芸術が生み出したものは、結局は、多くが『問い』なのですよ。つまり、芸術とは哲学と言えるってことです」
「なるほど。歴史と哲学。つまり、人の考えそのものが芸術ってことでもあるってことですね」
「そういうこと。芸術を突き詰めると、そもそも、人が考えるあらゆるどうでも良いことが、芸術であるかもしれない、と言えます。ということは、すべての人間の思考は、すべて芸術とも言えるのです」
「まあ、それは飛躍しすぎのような気はしますけど…」
「そうでもありませんよ。ウォーホルの日用品をシルクプリントしただけのものが芸術というなら、子供の書いたクレヨンの落書きが芸術ではないとは言い切れないと思うんですよ。すると、電話をしながらメモ帳に手で適当に書いた丸とかバツとかの集合体もそうじゃないですか? となります。まあ、すみません。確かに飛躍しすぎているかもしれませんね。しかし、哲学的な問いを内包している人間の問いならすべて、それは芸術と呼ばれる可能性を持っているということなのです」

 話が進むうちに、だんだん、よくわからなくなってきてしまった。だから芸術ってなに?
「ああ、すみません。だんだん、話が複雑になってきちゃいましたね。話を戻すと、美術館に飾る相応しいものって、なんだと思います?」
 ああ、そういえば、そんな質問から始まったんだっけ、と思い出す。しかし、今までの会話でますますわからなくなってしまった。
「すみません。よくわからなくなっちゃいました」僕は素直に答える。
「ははは。確かにその通りなんですよ。実はね、私もよくわかりません」
「は?」
「美術館に飾るに相応しいものっていうのは存在すると思います。歴史が証明する素晴らしい作品群を飾るのは、決して悪くないと思っています。だから、もちろんそういうものを優先して展示をしているんですよ。ただ、」
「ただ?」
「私は館長なんですよ。言ってみれば、私の独断で、飾るものを決めることができる立場にあるということです。その上で、商売を抜きに『芸術を展示するって、何?』と考えると、私にしかできない芸術の展示があるように思えるんですよね」

 僕は心を鋭利なもので刺されたような気分になる。僕にしかできない作品を作りたい。そんな昔の想いも、いつの間にか少しずつ仕事のためという理由で、仕事をもらいやすい活動や行動をとる姿勢へと変貌したことを非難されている気になった。

「私は、自分が面白いと思う芸術を展示したいんですよ」
 館長がとても美しく見えた。ああ、誰かにとって美しく見えるというのも芸術なんじゃないか? と僕は思った。美しいと感じるのは、館長の哲学が、僕の心の何かを確かに刺激したということなんだ。つまり、哲学は芸術なのかもしれない。先ほどまでの難しい館長の言葉が、ちょっとだけ違う形で僕の中に浸透していった。


「美術館で、漫才やコントをやってみない?」
 僕は彼にそう言った。彼はきょとんとした顔をしている。
「だってさ、美術品が飾ってあるはずの場所で、美術品であるものが漫才やコントをしてたら、面白くない?」
「…まあ、それはそうかもしれませんけど。まあ、そうですね、確かに面白そうではありますね」
 
 帰りの電車に揺られていた。
 先ほど電話で、館長へのアポを来週半ばに取った。
 まずは企画書を作らなきゃと思っている。
 ただ漫才やコントをやるだけではない。美術館を眺める順路全体を通して笑いってなに? 笑わせる力は美しき技術だしそもそも笑いそのものが芸術なんじゃないか? と僕は観客へ問いかけようと思っている。
 順路には大喜利の芸術品も飾ったり、コント台本の芸術品も展示したりしようと思っている。アイデアが次々に湧いてくる。美術館というライブ舞台でやる漫才やコントの手法も、ならではの面白いものにできそうだと思っている。

 普段、物静かな美術館が、当日は笑いの渦に包まれているはずだ。
 そう思ったら、自然と笑いがこみ上げてきた。
「ははは」
 僕は、電車に揺られながら思わず笑ってしまっていた。
 僕は僕という芸術のあり方に、今、一歩だけ近づけた気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?