『ニーチェの馬』の飼い主

 「1989年1月3日。哲学者ニーチェはトリノの広場でむち打たれる馬に出会うと、駆け寄り、その首を抱いて涙した。そのまま精神は崩壊し、彼は最期の10年間を看取られながら没したという。馬のその後は誰も知らない」。ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受けたハンガリー映画『ニーチェの馬』(タル・ベーラ監督)は、この逸話にインスパイアされて生まれたという。
 映画の冒頭のシーンでは、走る馬を自由自在にカメラが動いて移動撮影されており、モノクロの農耕馬のクロースアップが圧巻である。ちなみに競走馬を扱った名作『シービスケット』は、セピア色の時代背景描写から始まる。舞台は寒風吹きすさぶ荒野の一軒家で生活する農夫の父娘が主人公である。世に赤貧洗うが如し(西洋では教会のネズミのように貧しいというらしいが)と言うが、『ニーチェの馬』の飼い主は半端ない。なにしろ1日の食事はでたジャガイモ1個のみで、それを塩壺に入れた岩塩をなすりつけ頬張る。やがて2人の周囲には馬の体調異変を初め、さまざまな数奇な事象が起こる。
 未見の方もいるため、プロットは省略するが、映画は一瞬の緊張も途切れること亡く静かに進展する。監督はわたしと同年齢らしいが、彼我ひがの哲学的乖離から、本来なら深淵なテーマに観客として対峙たいじすべきだが、いらぬうゎーばぐとぅを抱いてしまう。
 <ジャガイモは川に20%の栄養があるというのに、あの親父いちいち剥かなくてもいいのに> *ちなみにわたしは野菜ソムリエプロの資格を持っている。
 <親父が1日2杯だけひっかけるあのパーリンカというハンガリーの蒸留酒はいかにもうまそうだ。そう言えば、昔彼の地に行ったときなぜ飲まなかったのだろう>
 「意馬心猿」という言葉があるが、わたしの映画鑑賞スタイルは、どうやら芸術を思考するより妄念を嗜好することに向いているらしい。

                   琉球新報 南風 2016年4月14日

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