技術者という仕事

今日は技術者、特に建設コンサルタント、建設、土木に従事する技術者の気持ちについて語ってみたい。

わたしがこの仕事に入るきっかけになったのは、2011年3月、日本を震わした東日本大震災、であった。

あの時大学4年生頃。どんな仕事をしていくかぼやぼやとイメージしたくて、色々ともがいていた。

根底にあったのは、父の姿だ。父は公務員だったが、毎晩音楽をかけて書籍に目を通していた。少し話を伺ったのは、明日授業で使う話の材料を仕入れている、というのだ。

根底にあったのは、何かを学んでそれを材料にする仕事。勉強をしてそれを提供する仕事。身体を動かしてプロのアスリートになれたらよかったけど、そこまで現実が甘くないのはわかっていた。

結局、縁あって建設コンサルタント、今の会社に入ることになるのである。

正直に話すが、その頃将来に明るいイメージは持てていなかった。

どんよりとしていて、仕事だけ明るい会社を選ぼうと思ったけど、偽っている自分がいて、自分にも自信が持てない時期があった。

社会でこれまで生かされてきたけど、これからは生きていく、どう生きていく、それを痛感したのが、あの東日本大震災があった頃であった。

ボランティアを志願したのは、まず自分のためでなく、人のために動いてみよう、そう考えたからだった。
自分の学びたいという意思よりも、あの時、どう生きていくか、という問いの方があった。

家族みんなが将来に対して不安な気持ちになったことがあった。

それの理由は今なら明確にわかる。

何はともあれ、わたしは会社に入って、学び始めることにした。

今までのことはリセット。

そうしたことはこれまでも人生の中で今思えばあった。

中学一年生で初めてテニスを自分で選んだこと。

大学進学を東京大学を目指すことに自分で決めたこと。

今の会社で働いてみよう、そう思ったのも自分でだった。

めちゃくちゃ悩んだけど、進路を決めるって、やっぱりこれまで自分だった。

建設コンサルタント、特に自分の会社は地盤調査やボーリング調査などを得意としている。

なんだか、地盤の強みを知る者って感じで、入った当初、先輩方はカッコよく見えた。

そういう姿勢に感化され、自分も将来、こういうふうに振る舞えるようになりたいな、って思った。

入社一年目はまだ技術者の仕事の厳しさの10分の1しか知らなかったと思う。

地盤調査に駆り出されるとその調査の成果が暮らしの一部を形成することに繋がる。
そう思えると不思議と仕事から手を抜くことができなかった。
地味な仕事だなって思うこともあったけど、この地味なことがまさに仕事なんだなって改めて噛み締めた時代だった。

出張が長くて寂しい思いをすることもあった。

僕を支えたのは、「この仕事は社会の役に立っている」「僕は社会の役に立つ仕事をしているんだ」「僕は社会人になったんだ」「僕はおとなになれたんだ」
というような気持ちだった。

それともう一つ、それはわたしが学生時代に「おとなに期待したこと」
それを自分も持っているだろうか、その問いだった。

「いや、まだ持っていない」「このまま努力していればそんなおとなになれるんだろうか」「いや、なれるだろう」「でもつまんないな、早く終わらないかな、この時間」

仕事の厳しさは反面としてそれが社会人、自分の期待した「おとな」へ転身するための材料だ、そう信じていた。

脇目もふらず、自分は目の前の仕事に打ち込んだ。

少しずつ、今まで当たり前だった社会や、日常が周囲の「おとな」に支えられていることが見えてきた。

自分のそばにいる上司や先輩、嫌なことをいう上の人たち「おとな」がこんなことで社会を支えている、そういう場面を知る機会に恵まれた。

「あぁ、こういう人がいたんだ」

中高の頃、わたしは汚れ役を買って出ることが苦手だった。

なんだか周囲がついてこなかった。

そこで大学時代は進んで汚れ役を買ってでた。

それなりに周囲がついてきた。

入社10年、自分の苦労や努力、全てを会社に曝け出して生きてきた。

技術者という形になるために。

わたしにとって、今、技術者とは、こころから変えたい何かを持っており、
自分の通念から、こころと生き方によって
まさに、社会自体を変えていく
人たちだ
と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?