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【日記】教養は多様性を受容する〜世間知らずという原理主義〜

原理主義というのは元はリベラルに対してキリスト教の教義を厳格に遵守することを指したようですが、今はその流れから、キリスト教以外でも思想的に厳格な人たちのことを指します。

厳格に物事を遵守するというのは、多くの宗教にとって重要なことです。
集団としてのまとまりを規則の遵守によって維持するというのは人間らしいシステムです。
規律を破れば罰則を与え、守っていれば仲間として恩恵を得ることができる。

しかし、そういうシステムは情報が限られていた閉鎖的な集団では成り立ったとしても、現代のように多くの情報が入ってくると、その戒律の矛盾が見えてきて、その妥当性が揺らぐということもあるでしょう。

多くの一神教が持っている矛盾は、進化でしょう。
神が宇宙を創造し、似姿として人間を作ったというロジックは、進化という事実からはどうしても相容れない理論です。
いまだに、進化論を否定する人達がいるように、宗教ロジックは科学すら否定します。

科学というのは、僕は教養だと思っています。
世の現象をできるだけ、色眼鏡をつけずに客観的に把握する方法です。
その為には広い視野が必要です。
それが教養であり、多角的な視点を持つことで、物事の本質を理解しようとします。
視点が狭いと、その理論の矛盾に気づかないことや偏見、思い込みという事実を歪める偏りになってしまいます。

宗教は信仰であり、色眼鏡を作ってこそという感じがあります。
原理主義はその中でも更に強烈な色眼鏡をかける人々なのでしょう。

多くの宗教が持っている、人間が優れているという価値観すらとても偏っています。
人間は世界やその他の動物の頂点に立ち、彼らを管理し制御する存在であると。

でも、、、。

空を自由に飛べる鳥よりも人間は優れているのでしょうか?
いてつく流氷の下でも生きていけるアザラシや一角獣よりも人間は優れているのでしょうか?
時速110kmで走れるチーターよりも人間は優れているのでしょうか?

人間が優位だという驕りはどこからくるのでしょう。
勝手に宇宙を人格神の人工物だと想定する人間はどこまで傲慢なのでしょう。
教養がなさすぎると思わざるを得ないです。
科学、学問は知れば知るほど分からないことばかりですし、もっともっと知りたいと思います。

そして知れば知るほど、人間以外の生物を尊敬しますし、そんな人間と比較してどっちが優位だとかいう概念は全くと言っていいほど出てきません。

知らないということが、偏見を生み、思い込みを生み、そして世界を勝手に人間の所有物にしてしまいます。
学ぶということは、視野を広げることであり、教養が世界の多様性を受容する条件だと思います。

この時代になってもいまだに宗教戦争が起こっているという人間の醜さ。
どれだけの犠牲をすでにしてきたか。
それでも気づかない、
それでも改善できない。
教訓として歴史から何を学んできたのか?
全くと言っていいほど学んでいない。

違う世界を見ている者同士、自分たちの色眼鏡を外さない限り共感し合うことはできないでしょう。
人間に対して情けない気持ちでいっぱいですが、それでも平和を祈る身として、教養を深める以外にはないと思っています。

歴史、生命科学、自然科学、人類学、、、学びに終わりはありません、、、。

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