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【マガジン】する「do」んじゃなくてある「be」という状態にするには環境を整えることだと思う

生徒さんからもっともな質問というか意見があって、ふと考えてみました、、、。

ヨガでは「be present」とか「あるがまま」とか「ジャッジしない」とか、「doよりbe」とかいうんですが、その「be」という状態ってなんでしょうか?

僕は「俯瞰する」ということが一つのポイントだと思っています。「do」という状態は完全に自分が主体となっている状態ですね。「僕が〇〇をしている」ということです。

そこを客観的に俯瞰すると「be」を感じるという状態になる。感じるということは「feeling」であり、特に内部感覚に意識を向けることがポイントだと思います。例えば、喧嘩している人たちがいて、その人達を側から見ているのは俯瞰、つまり客観ですよね。

でも喧嘩している本人たちは当事者ですから当然主観です。ですから、自分を側から見るように観察するということがポイントだと思います。俯瞰しているのが何がいいかというとそれは冷静だからです。冷静だから物事を偏って捉えないといことですね。

冷静な時の本断基準は理性です。この理性を働かせることをヨガでは重要視していますね。その理性を哲学として、ヴェーダやウパニシャッドなどから学ぶわけです。仏教であれば釈尊の教えです。

さて、俯瞰や客観視が重要なのはわかりましたと。理性によって苦しみや感情から離れる事ができると。でも、では側から自分を観察するのは本当に主観ではないと言い切れるのか?という疑問もあります。

俯瞰するという「do」ではないのか?と。観察しているというのだって十分「do」ではないか?と。

確かに観察するという積極的な観察は主観かもしれませんが、穏やかに観察するという方法もあると僕は思っています。つまり観察にも2パターンあると。

英語だとlookは意識的に注意を向けるというニュアンスで、seeは見えるという感じで使いますよね。僕の記憶だ正しければ、、、。観察というのもその違いに近いような感じがしています。

・積極的な観察→look、attention
・穏やかな観察→see

seeのような穏やかな観察は風を感じたり、香りを嗅ぐような感覚です。感じているから観察できているのであって、必死で野鳥の会が鳥の数を数えているような観察とは違いますよね。感じて、把握し、結果的に客観的になっている感じです。

そしてもう一つ、僕はその穏やか観察は環境がそうさせると思っています。

例えば高い山の山頂から下界を見下ろした時、そこには環境として俯瞰した視点が形成されると思っています。無理して俯瞰しようとしているのではなく、環境によって俯瞰する状態になっているという事です。アフォーダンス理論にもつながると思います。

さて、ではヨガのクラスなどではそんな山頂にはいけないので、どうやったら俯瞰した環境を作れるのでしょうか?

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