見出し画像

【ドイツの歴史に関する考察】

ドイツの歴史を考えたいと思います。少し複雑です。
西ローマ帝国の滅亡(476)以後、西ヨーロッパを統一したのはフランク王国です。このフランク王国が3つに分かれて今のフランス、イタリア、ドイツの源流になっていくのですが、その内の東フランク王国が現在のドイツにあたります。そして東フランク王国のカロリング家断絶に伴って成立したのが、神聖ローマ帝国(962〜1806)です。
 神聖ローマ帝国は、現在のチェコ共和国(ボヘミア地方)を含む広い領域の国でした。しかし、イギリスやフランス等の世襲制の王国とは違い7つの地域の諸侯の選挙により皇帝を選ぶ体制でした。そして皇帝位を独占したのが有名なハプスブルク家です。その都は現在のオーストリアのウィーンにありました。

しかし、現在僕たちが「ドイツ」として考えている国はこの神聖ローマ帝国を源流としていません。
現在ドイツの原型は「プロイセン」です。第3回十字軍遠征の際に結成された「ドイツ騎士団」が1525年にバルト海沿岸にプロイセン公国を建国。ドイツ東北部にあったブランデンブルク選帝候国と1618年に合邦。1701年に王国に昇格。
このプロイセンの都がベルリンであり、ホーエンツォレルン家が支配しました。
イメージとすると北側にプロイセンがあり、南側にオーストリアがあると考えて下さい。この2つの国がドイツ統一を巡って争い戦争をします。普墺戦争(1866)です。鉄血宰相のビスマルクにより軍備拡張で国力を伸ばしていたプロイセンが圧勝。1871年にドイツ帝国が成立し、国家統一を果たします。このドイツ帝国こそが、「日の沈まぬ国」と言われた”大英帝国‘’と覇権を争って第一次世界大戦を引き起こしていきます。

「日の沈まぬ国」イギリスと新興国のドイツの対立が第一次世界大戦を引き起こしていきます。その大きな要因は衰退する「オスマン帝国」をめぐる攻防にありました。

オスマン帝国の衰退について説明する知識がないのでひとっ飛びに結論に向かいます。
大航海時代以降、産業革命を経たヨーロッパ諸国は他国の植民地化に情熱を燃やす「帝国主義国」に変質しました。弱体化したかつての大帝国オスマントルコは広大な領土を持っていました。また、石油資源で注目されるようになったアラビア地域への通行のためにその「領海権」「領空権」を巡りが各国の利害が対立するようになりました。
既得権を守ろうとするイギリスと新興のドイツが争う舞台となったのです。そして、1914年に第一次世界大戦が起きます。結果、ドイツが敗北しイギリスが勝ちました。しかし、その後の歴史を考えると本当の勝者は戦争に参加しなかった「アメリカ」だったのだと自分は考えています。
その後に起きた第二次世界大戦でも同じです。戦場となったヨーロッパ諸国は勝敗に関わらず衰退してしまったからです。衰退したヨーロッパの復興支援によりアメリカに特需のような繁栄が訪れ、超大国と言われて半世紀以上に渡り世界の覇権を握ることになりました。
そして、今僕たちが見ているのが2度の世界大戦後に1人勝ちだったアメリカの衰退する姿です。

よろしければサポートをお願いします。🐥より良い作品作りのための励みにさせていただきます❗️