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【古代ギリシア】

古代ギリシア最古の文明は「エーゲ文明」です。紀元前2000年頃に、①トロイア②ミケーネ③ミノアの3文明がありました。エーゲ海を中心に発展した海洋民族の文明でした。この「エーゲ文明」は紀元前12世紀頃に突然全て滅亡。その後、記録が残っていない「暗黒時代」が長く続きました。僕らが知る都市国家「ポリス」で有名な「古代ギリシア文明」との間には400年ほどの空白期間があります。

古代ギリシア人には幾つかの系統があり、ギリシア半島内の各地に移住しました。紀元前8世紀頃のことです。ギリシア人の系統は下記の名称で分類されています。
①イオニア人(都市:ミレトス)
②アイオリス人
③ドーリア人(都市:スパルタ)
④アカイア人

移住にあたっては、軍事的要衝・経済的要衝が選ばれました。この移住によって形成された共同体・都市国家は「ポリス」と呼ばれます。「ポリス」の中心部には必ず防衛の拠点となる丘があり、市の守護神を祀る神殿が作られました。ギリシア人のこの移住のことを、特別に「集住(シノイキスモス)」と呼びます。1000以上の独立した都市国家のポリスが、紀元前8世紀頃に形成されました。

古代ギリシア人には独特な文化がありました。
①デルフォイの神託
・アポロン神殿を持つポリスの「デルフォイ」と呼ばれる聖域で巫女を通じて行われた神託。
②オリンピアの祭典
・ポリスの1つオリンピアのゼウス神殿で行われた祭典。今のオリンピックの源流。

また、「集住」により人口が増加したため、周辺各地に進出して新たなポリス建設を行いました。土地不足・交易拠点の確保を目的として、地中海・黒海に新たにできたポリスを「植民市」と呼びます。
現在知られる有名なポリスは下記の通りです。
①マッサリア
・現在のフランスのマルセイユ
②ネアポリス
・現在のイタリアのナポリ
③ビザンティウム
・現在のトルコのイスタンブール

古代ギリシアで、学術研究があれほど発展した理由は何故だろうかという疑問から考えています。
ギリシアの盛衰を簡単に要約すると、下記の通りです。
①紀元前4世紀のポリスの建設から始まる「発展期」
②古代民主政を確立させた政治家ペリクレス時代の「全盛期」
③ペロポネソス戦争(アテネとスパルタの争い)による「衰退期」
④マケドニアのアレクサンダー大王の登場によるヘレニズム期の到来。文化的優位の「終焉期」

古代ギリシア文明について自分が注目したのは次の3つです。
①華夷思想
・古代ギリシア人は自身のことを「ヘレネス」と呼び、自分たちの国土を「ヘラス」と呼びました。それに対し異民族に対しては、「バルバロイ」と蔑称で呼び差別しました。中国人の中華思想のように自他を区別していたのです。
②奴隷制度
・古代ギリシア人は、捕虜や債務奴隷を家内奴隷として農耕や家事に従事させました。労働を担う道具として、奴隷を使役する社会制度を確立しました。
③アゴラでの集会
・ポリスの中心部には「アゴラ」と呼ばれる広場がありました。市民はそこで集会を開き、裁判や参戦、講和などの国政について盛んに議論しました。議論により「合意形成」を作ることで、考え方を洗練させていました。

文明を発展させるためには、まず安定的な「食料の確保」を確立しなければならないと思います。「衣食住」に関することに不安がある環境では、思索を深めるための時間を確保できないからです。それを可能にしたのが古代ギリシアの「奴隷制度」だったと思うのです。
奴隷制度により学術研究を行う「時間」が確保され、民主政の確立により活発な「議論」が可能な環境がそこにはあったのです。王侯貴族による専制もなく、封建領主による搾取もなかったのです。
そうした環境で「自分たちと他民族とは異なる」という強い自負心を持っていた。また、ギリシア神話や神託で吉凶を占うなどの習俗から分かるように自然現象への畏敬の念を深く持っていました。

西洋文学の最初期の2つの作品は、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』です。ホメロスは紀元前8世紀の人物とされています。ヘルマン・ヘッセの作品「車輪の下」でも、主人公の神学校への受験科目として取り上げられていました。

古代ギリシアの哲学は、ミレトス出身のタレスに始まるとされています。
・タレス(BC518〜BC546頃)
ギリシア初の自然哲学者。イオニア学派の祖。「哲学の父」とされる。万物の根源を水とした。タレスは「人間や世界を理性によって説明しよう」とする学問の潮流を生み出しました。
「万物の根源は何か?」という命題から、さまざまな学問が生まれ発展することとなっていったのです。

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