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若松英輔『生きる哲学』からの引用 ~志村ふくみ~

上記の記事に続き、批評家・若松英輔さんの『生きる哲学』からの引用。
第五章「聴く 志村ふくみと呼びかける色」より。

染織家・随筆家の志村ふくみさんの『一色一生』にて、彼女が引いたという十八世紀のドイツの作家・ノヴァーリスの一節が印象的。

すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
きこえるものは、きこえないものにさわっている。
感じられるものは感じられないものにさわっている。
おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。
(『一色一生』)

『生きる哲学』P.112

顕在した表現は、その裏にある潜在した表現と隣り合わせである。
表現されたコトバと表現されなかったコトバの「あわい」は、分離されているのではなく、緩やかにつながっているのかもしれない。

以下は、志村ふくみさんが『色を奏でる』にて紡いだ言葉。

色はそれぞれ光を身に受けながら共振し、共鳴する。「私が色の生態ともいうべき原理を教えられたのは、色の法則の根本は、色と色を交ぜない、あるいは交ぜられない、という織の原則からであった。」(『色を奏でる』)と志村はいう。

『生きる哲学』P.109

人間がコミュニケーションの上で他者と"編む"・"織る"行為においても、ともすると、色や糸のように、個人そのものは決して交わらないのかもしれない。ただし、それぞれの持つ色の濃淡や糸の太さのグラデーションにより、そこに模様が浮かび上がる。

また、この一連の流れで想起された思考は、自発的に芽生えたものではなく、他者からの影響を受けたものである。ただし、以下の表現を借りて、それは自分の内面と向き合う行為なのだと解釈したい。

影響とは、ある人物からもたらされるものであるよりも、その邂逅が契機になって、自己のなかにある何かに気が付くことだといったほうが精確なのだろう。

『生きる哲学』P.109

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