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写真の上達のコツはまずは”楽しむ”こと|元旅人の本気で教えるカメラの基本 01

一眼レフ、ミラーレス、今となっては誰もがカメラを手に観光地や街、カフェやご飯やさん。至るとこにカメラを持つ人たちが増えてきている中にも写真があまり上手くならない、、と悩んでいたり、ボタンがたくさんあるけど機能があまりわからなくて結局 A(オートモード)で全部撮ってますって声を最近よく聞くようになりました。

確かに オートモードは優秀で、その場の環境に合わせてくれてシャッターの半押しでAF(オートフォーカス)をかけて、そのままシャッターさえ切れれば誰でもそれなりの写真が撮れます。

AF(オートフォーカス)とMF(マニュアルフォーカス)について

別に全然それって悪いことじゃない。
Aモードで綺麗に撮れるならカメラとしての役目は十分に果たしてくれている。

ぼくは始めた頃からMモードしか使ったことがなくて、途中でフィルムを使ったり、オールドレンズを使ったりと、Aモードで撮影することがほとんどなかった。
要するにAモードの楽しさをぼくは伝えれない。

けれど、写真を撮るっていう行為の楽しさは伝えていける。

真夏にモデルに水をかけた一枚

いい写真とそうじゃない写真のちがいって?

カメラを持つ誰もが、写真を撮る誰もが考え意識していることなのに上手い写真の定義はいつも曖昧。
難しい言葉と難しい設定、高い機材とその人の技術があってこそのものと思い込んで自分の写真に自信をなくしていきます。

でも安心して欲しい。
上手いとか下手とかそんなもの写真の世界には存在しない。

上手くなった、下手になった。はあるかもしれないけれど、それはその人の表現の仕方が鮮明になったとか切り取り方が変わったことをわかりやすく言っているだけであって、そもそも上手いなんて概念が存在しないのが写真の世界。

その中でも『良い』と評価のされる写真がある。
それが撮影者の感情が籠った写真だと、ぼくは思っている。

たとえどんなに綺麗な場所にいても、どんなに煌びやかかな世界にいても、撮影者であるカメラを持った誰かが感動していないのならばその写真に意図は無い。
その景色に吸い込まれそうなほど、そこに魅了されるほどに写真は美しく、力強く、誰かの目にしっかりと残るものになる。

逆に言ってしまえば、なんの感情も揺れ動くことなく記録としてそこにいるだけでは写真は生きてくれない。
自分が綺麗とか美しいとか、面白いとかかっこいいとか、その景色も人も街も川もそう思わないと良いと誰かが言う訳ないじゃん、もっと言うと綺麗とか美しいじゃなくて、悲しいとか苦しいとか辛いとかって感情も大事になってくる。

寫眞は "真(まこと)" を写すもの 

この言葉の通りに写真は真を写し、魂が抜き取られることで"真の姿"が映し出されると昔の日本では言われていた。
これは写る側のことだけど、写す側のことでもあるとぼくは思っている。

物事を光として捉えて、事象として置き換え、感情をそこに込める

そうやって、なんで綺麗と思うのかとかなんでそんな気持ちになるのかとか、今目の前にある景色や事象をしっかりと認識していく。たったそれだけで写真は美しく魅了するものに変わっていく。

あなたがそれを美しいと感じることが、写真上達の第一歩。

美味しいご飯に使わせていただきます