人に会うための言い訳を、ぼくはいつも探している |手と仕事 #14
人生における人との出会い、ぼくはその出会いと呼ばれる何かをこの三年間を通してたくさん経験してきた。
移住したばかりの3年前に限らず、住み込みをして日本中を転々としていた時からも、その前からも
ずっとずっと人に出会い続けている。
新たな人間関係につながる出会いもあれば、本当にはじめましてをする出会いまで、ぼくはこれを日常にしてきた。
何百回と初めましてを言い続けて、何百人と人に会ってきているぼくは、誰かに会うための言い訳を探し出すのに必死。
どんな口実を用意しようか
どんな言い訳をつくろうか
仕事の合間を縫ってイベント事に出向く理由は「知り合いがいる」ということから始まって、徐々にそれは主催の人に出会うことや新しい誰かに出会えるだろうと勝手に妄想を繰り広げては結局は会えないままなんてこともたくさんある。
それでも何度も何度ももしかしたら、なんて希望と仕事に繋がるかもしれないと思って、財布とカメラを握りしめてぼくはそこに行く「言い訳」を無理矢理にでも自分の中に作り出すんだ。
疲れているからやめようと思って行かなかった時もある
仕事がうまくいかなくて心の余白がなくなってきて、こんなことしてるくらいなら営業なり業務委託の仕事を受けたり、バイトした方がいいんじゃないかと思った日もあったりと意外と悩ましい日々を送ってるんだ
だけど「誰かに会いにいく」っていう曖昧で不確かな言い訳は確実に今のぼくをつくっているのだと僕は思う。
あの時のイベントで偶然会ったから
あの場所であの話をしたから
たまたまそこで話した内容が鮮明にお互いの記憶にこびりついて離れなくなったときに、「撮影依頼をしたい」と言ってくれる人がいる喜びにぼくは満足していて
カメラマンが必要だからアイツを呼ぼう。というその"アイツ"にぼくが介入できた幸福感は計り知れない。
どうせならなおとが今晩おいしいご飯が食えるくらいの予算はつけてやろうぜって思って、しっかりと予算をつけてお話をしてくれる方もいて本当に嬉しい限りだ。
あの時に行く選択をしたぼくがいたから
あの時カメラを構えたぼくを見つけた誰かがいたから、今のぼくはまだおいしいご飯が食べれているのだと思っている。
ぼくにカメラの魅力を教えた人はすごい人だけど、それ以外にぼくが技術を学んだ経験が文字として残せるものかと言われると、ほかのカメラマンの方に比べてしまった時には0に近い。
そんなぼくが10年先もカメラを仕事にするためには「人に会い続ける」を続けるしかないのだと、勝手ながらに思わせてもらってるわけです。
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