一流の仕事を見ることが一番早く仕事をとりにいく方法。|手と仕事 #17
『手と仕事』を撮り始めてようやく一年が経つ、実は色々な思惑のもと撮り始めたこの企画は実は一番の目的というものがあった。
職人さんの手と仕事を撮る意味も、100人という意味も、掘り返してみればさまざまな意味が後からつけられては補正されているけれど、始めた動機はぼく自身のリハビリ。
2022年の春、拠点を移すと同時にぼくは車で交通事故に遭ってしまった。
軽めの追突だからとそう重く受け取ることもなかったのだが、事故後から日を追うごとに不調が訪れた。
よくあるむち打ち、そして最大の不調は吐き続けて眠れないこと。
後でわかったのはむち打ちによって固くなった部位が神経を圧迫したことを原因だったと知ったけれど、当時は何も知らないままにまともに食事もできず、受けていた撮影仕事をその時一斉に手放すことを決めた。
施術と運動療法でなんとか体が元通りになる頃にはぼくはカメラマンと名乗れるほど撮影をしていなかったと気がついて、初めは知り合いとポートレート作品を作ってみたりしていた。
でもこんなことをしていたところでカメラマンとして復帰できる気もなくて、それならばって始めたのが『手と仕事』なんだ。
強制的に撮影する時間を作り出してシャッターを押す機会を生み出して人に会い続ける、事故後に喪失感と虚無になったこの感情のまま引きこもってばかりいたらいつかダメになってしまうとわかったから人に会い続ける『やまぐちなおと』をまたしても始めた。
一人にならないことも、撮影し続けることも
編集し続けることも、話をし続けることも
全部全部『手と仕事』なんて企画を言い訳にぼくがぼくであり続けるための意味をつけた
一流の人を見続けることと話をすることで変わっていくのは、自分の中にあるよくわからなかったものたちが言語化されていくそんな感覚。
彼らは一つの信念を持って今に取り組んでいる。
そこに意味をつけるのが誰かを知っている。
それはカメラマンにも言えることで、ただただカメラを振りかざしては何も気持ちのないものたちにシャッターを切ることがカメラマンじゃない。
何を撮りたいのか、どう写したいのか、どんな想いなのか、カメラマンが撮りたいものをしっかりと見ないで切る景色に誰も意味をつけないと思っている。
美味しいご飯に使わせていただきます