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自分の中の小さな不幸に思うこと

生きていれば、
残念なできことは
必ず、あるものだ。

車の窓ガラスが割れたり、
お気に入りのモノを無くしたり、
身内やペットが亡くなったり。

失った時に気軽に取り戻せないモノ
ほど、落胆の激しいものはない。

これまでの積み上げが、
無価値になってしまった
これまで、できたことが
もう二度と、できない。

そう思うほど、
ガッカリしてしまう。

価値を感じないモノで、
何度でもできるコトなら、
「また、次があるさ」と、
ガッカリしないだろう。


同じできごとであれ、
ガッカリする人、しない人、
分かれる。

モノが、たくさんあり
何度でも体験できれば
ガッカリする頻度も下がるだろう。

とはいえ、
世の中には、唯一無二の
かけがえのないモノもある。

似たり寄ったりのモノでも
愛着が湧いたりすると、
その人にとっては、
やがて特別なモノになる。

失ったときのガッカリが
大きくなる。

後で、大きな悲壮感に
襲われるならば。

特別なモノなんて、
作らない、持たない、
なんて考え方がある。

失ってガッカリするのは、
裏を返せば、
これまで幸せだったと言える。

その人にとって、
価値が0のモノが
無くなったところで
なにも思わない。

価値を感じるものを持っている、
幸せな状態になるほど、
失った時の喪失感を覚える
リスクが高まる思う。

ボロボロな車を傷つけても
なんとも思わないが、
新車を傷つけてしまえば、
誰だって、ガッカリする。

幸せと不幸せは、
表裏一体だ。


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