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Mのこと。

大学生のときに「上品な人間になりたい」と思ったのには理由があって、それは、ひとりの女の子との交流がきっかけだった。

その子を仮にMとする。

Mは、私と同じ女子高出身で、高校生の頃はさほど親しい間柄ではなかった。大学で同じ学部に進んだことから急速に距離が近くなった部類の友人だった。

Mは、おうちが工務店を経営していて、お姉さんがひとりいて、小さい頃からお茶やお花やピアノをみっちり仕込まれていた。
だから、立ち居振る舞いも美しかった。高校生のときはどちらかといういうと地味な外見だったのに、大学生になってお洒落やお化粧を覚えてからすごく男の子にモテはじめた。

目が大きくて、サラサラのショートヘアで、スタイルも良かったMは、やがてひとりの男子学生と真剣な交際を始めた。
彼は、こういう言い方が適切なのかよく解らないのだが、所謂「苦学生」というやつで、奨学金制度を利用しながら平日はアルバイトを掛け持ちし、なんとか時間を作ってMとデートをし、課題もこなし…という生活を送っていた。詳しくは聞かなかったが、ご実家も複雑な人間関係があるらしく、なかなか帰郷は難しい様子だった。


Mと彼は、生まれ育ちさえ違わなかったら、きっとすごくいいカップルだった。
惹かれ合うものがあるからこそ恋に落ちたのだと思うし、「王子様」と揶揄されるくらいはっきりした顔立ちの彼は、Mと並ぶと理想のカップルに見えた。


Mと彼が交際を始めて数か月経った時、私はMに呼び出された。
学食で話を聞いてほしいと言う。
悩んでいる様子だったので、ちゃんと話を聞いてあげようと思って、私はけっこう身構えていた、と思う。
話を聞いていて、ちょっと違和感というか、Mの抱えている悩みに自分はフォーカス出来ないなという想いに囚われた。

Mの話は主に彼への不満だったのだが、その内容というのが
・彼の食事のときのマナーが悪すぎる(食べ方が汚すぎる)
・お金の遣い方がおかしい(たまに競馬や賭け麻雀をする)
・プレゼントのセンスが悪い
というようなことだったからだ。

確かに、Mは見とれるほど食べ方がきれいだ。
一度、家に招いたときなど、お行儀に厳しかった私の祖母が褒めそやし、その後ことあるごとに
「Mちゃんみたいに食べなさい」
と手本として引き合いに出されるほど。
(私は、今も昔もずぼらでいい加減。すぐこぼすし、焼魚はうまく食べられないし)
食べ方が汚いより、きれいな方が、なるほど印象は良い。
当たり前に。
お金の遣い方に就いては、当時Mにも彼との未来を描く余地があったから心配になった…ということで納得しようと思えばできるけれども、よく考えたら稼いできたのは彼だし、独身の成人男性が自分で決めてことにお金を遣って何が悪いのか分からなかったから、黙っていた。
プレゼントに関しては、正直、知らんがな、だったが、周りのカップルと比べて自分の貰うものがショボい、というのがプライドの高い彼女には許せなかったのだろう。

一番の問題は、それらを、Mが非常に「大問題」と捉えているらしいこと、そして、それを友人に話しても何の解決にもならぬことを「全く理解している様子がない」ことだった。
ちょっと衝撃だった。
私に言えることは、気に入らぬなら別れたら?ということと、他人を変えることは出来ないよってことだけ。
でもそれを言うと彼女が泣くことを心のどこかで分かっていた。
私が彼への愚痴(敢えて、愚痴と書く。本当はあれは愚痴じゃなく本気で人を変えようとしている者の狂気だったとおもうけれど)を聞かなかったら「冷たい」と言って、大きな瞳にいっぱい涙をためて泣くことが。

私はMに憧れを持っていたし、あんな風に「品のいい女の子」になりたいな、と思っていたから。
何もない時には、朗らかで、親切で、きれいで、いい匂いのする友達。
滑らかで、たおやかな京言葉。細い頸。整った字や、珍しいお菓子を懐紙で包んで持たせてくれたこと。
全部、今でも、大事な思い出だ。

泣かせたくなかったから、話を聞いた。

でも、彼女のなかに、おぞましい怪物がいるとは、その時はまだ気付かなかった。
それは名付けようのないほど悲しくて、名付けてしまえば、下らな過ぎる存在。
“I love myself”病としかいいようのないもの。
自分本位といえば、まだ聞こえはよくて、今でも認めたくはないが
「品性かけらもない怪物」だった。

Mは、私が話を聞く相手だと分かったとたん、昼も夜もなく電話をかけてくるようになった。
私にも自分のするべきことがあり、交際している恋人がおり、アルバイトや学業も大事だった。
相手がMではなかったら、即座に関係を切っただろう。
用事があるとき、私は携帯の電源を切るタイプの人間だ。
しかし、それをすると後がすごく怖い。
話を聞いてくれないとヒステリックに泣き叫ぶ彼女を宥めて、何度の夜を大学近くのマクドナルドで過ごしたことだろう。
私が今でもしなしなのポテトや紙カップのコーヒーに恐怖に似た感情を抱くのは、あのころのことがあるからかもな、ってちょっと思う。笑えるけど。

彼女もおかしかったけど、私も十分おかしかった。
もしかしたら、彼女に恋でもしていたのかもしれない。
涙をためた大きな瞳や、撫でたときのさらさら指に絡む髪の毛や、石鹸の香り。
ほんとにびっくりするんだけど、Mは私を泣きながら呼び出してから、私に会うまでの間に必ずシャワーを浴びていた。
だからいつも息苦しくなるくらいに清潔でいい匂いがした。
メンヘラのきれいな彼女に振り回されることを、心のどこかで求めて、楽しんでいたのかもしれない。

Mの恋人の彼もまた、とっても追い詰められているようだった。
とにかく喧嘩をすると、あまりにも激しくMが暴れる、と。
一度など激昂したMに携帯を壊されて、怒りのあまり少し手をあげてしまった、としょげかえっていた。
もともと彼はMの家族にあまり歓迎はされておらず、家に会いに行っても冷たくあしらわれるとこぼしていた。
「いい家柄の出じゃないから」
と寂しそうに言っていたことを思い出す。
2000年代の日本で出てくるような言葉なのか?
いや、実際、Mと彼だけじゃなく、家柄が違うと言って卒業後別れたカップルは多かった。
就職を“機に”別れる選択をする彼らを見ていて不思議な気持ちになったものだ。

Mの彼も、だんだん疲労困憊してきた大学3回生のある日。
今ぐらいの季節だったかな。
Mは、急に彼を振った。
彼曰く「同じゼミに好きな人が出来たから別れてくれと言われた」とのこと。
彼は落ち込んで泣いていた。
男の子が失恋して泣くのを見るのは、なんだか気まずい。
そういうときにうまく慰められないし、おどおどする自分も嫌いだし。
でも、まあ、すごく振り回されたよね、と丸善の近くのカフェで慰労した。
泣きながら、ホッとしている感じの彼も、なんだか何かに甘えてるみたいでいやだったんだけど。

その後、Mはほんとうに何食わぬ顔で新しい彼氏を紹介してくれて、私も一応の笑顔は作ったけれど、幽霊みたいに生気のないハンサムな男の子をみてて、Mってこんな気味の悪い感じのひとが好きなんだっけ…と内心呆れていた。

大変だったのは、その数か月後。
夜にMの元カレから混乱した電話がかかってきた。
Mが、二条城のお堀に飛び込む、と泣きながら脅してくる、というのだ。
正直「???」という感じだったのだが、話を聞くと、数週間前に彼にも新しい彼女が出来た。そして、その新しい彼女と言うのが、たまたまMとの共通の知り合いだったらしく、Mの知ることとなった、と。
それの何が問題なのか、さっぱり分からないのだが、Mは自分に新しい恋人が出来るのはいいが、彼が新しい恋人を作るのが許せないと叫んだという。
しかも、元カレが新しい彼女を作ったのは、ちゃんと見張っていなかった私(筆者)のせいなのだ…という。

ここまでくるとお手上げだ。

彼女は論理の破綻やルールなんて気にしない。
自分が自分の国を統治するのに必要なら、誰がどんなに傷つき、迷惑をこうむろうと構わない。
自分が捨てたものを、他人が拾うのは許せない。
自分の捨てたものは、自分の指定した廃墟のなかで永遠に彼女を想って泣いていなければ気が済まない。

そういう人間は魅力的に見えるし、遠くで見物している分には面白いだろう。
虚ろな城のなかで怒りに任せていろんなものを破壊している王女様。
実力がなくても親のコネでピアノ講師の職を見つけてもらい、表面上は何の瑕疵もなく、これからも進んでいくであろう彼女。

突然、今まで彼女に費やしてきた時間全部が煩わしく汚らわしいものに思えてきた。

彼女に憧れていた。
彼女に笑っていてほしかった。

でも。

彼女は、実は、わがままで自分本位な若い女の子に過ぎなかった。
私も、そんな彼女に振り回されて、仕方ないなあと喜んでいる馬鹿な女子大生に過ぎなかった。
友情とか、愛情とか、思いやりとか、そんなものは、私たちの間に一切存在していなかったんだ、と思った。

私は、その日を境に、彼女と連絡を取ることを一切やめた。
携帯電話の番号も変えて、キャンパスで声をかけられても無視した。
手紙も全部破って捨て、写真も焼いた。

あれは、何だったんだろうといまでも、ときどき思い出す。

風の便りで、卒業後、Mが普通のサラリーマン男性と結婚し、郷里と遠く離れた場所で2児を育てていると聞いた。
強烈な後ろ盾であったMのお母さまはとうに亡くなり…という話を聞くと、あのとき、私の目の前にいた女の子との乖離が凄すぎて、夢のなかの出来事みたいにも思える。



「上品なひと」という言葉を聞くたびに、なぜかMを思い出す。
品性の欠片も持ち合わせていなかった、あの頃の彼女を。

まだ迷走している。
考えてしまう。

品性のある人間ってどんな人間のことをいうんだろう。

私は、きっと、また「表面」に騙されてしまう気がするから。

教養があって、清潔感があって、マナーのいい人間を「上品な人」って思ってしまうから。

あなたは「上品なひと」ってどんな人だと思いますか?


•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶