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not to doリスト、そして風邪引き梟はスピノザ先輩の夢をみない

風邪をひいた。
10月に動きまくって疲労が溜まったんだろう。
不思議と不快感はあまり感じない。
へそきゅうというお腹専用のカイロを丹田のあたりに置いて、今日は最低限の家事だけがんばっている。

風邪ひくと読書が捗る。

今日は
phaさんの「しないことリスト」をまず読了。
だいじなことが書いてある、と思った。
not to do listは最近いちばん興味のあることだから。
論破したいやつはスポーツ感覚だから曖昧な相槌をうつ練習しようのくだりで笑った。
確かに。
論破しても特に状況って変わらないんだよね。
それにしてもphaさん、もう余生と仰有ってるのがカッコいい。現代のソクラテスみたいだ。なんとなく。

昼寝から醒めて、うどん、かゆ、くすり。
我ながらよく食らう。
ミルクティーも淹れてもらってのむ。
なにか奇妙な夢を見ていたが。
覚えがない。

布団に戻りてのちに、モーリス・ルヴェル「夜鳥」を読んでしまった。10月半ばからちびちびとケチ臭く楽しんできた短編集で、ずいぶん長い間復刊されてなかったらしいから、嬉しく買い求めた記憶がある。
私は所謂本格推理小説はあまり好まないので、乱歩みたいなもんだと嬉しいがなぁと読み始めたのだが、予想よりずっと良かった。
ただ、面白いから面白いとしか言いようがないのであって、純粋なきもちで物語を楽しむ贅沢な時間を過ごさせてもらった。ルヴェルのものがたりの登場人物は幼い者、売春婦、犯罪者、老人、障がい者、ホームレス、売れない画家、なんかで占められている。貧しいものや持たざるものたちへ注ぐ視線の奇妙なほど澄んでいることと言ったら驚くほどである。
私個人は特に「誰?」「フェリシテ」「孤独」「幻想」「ふみたば」「蕩児ミロン」なんかが好みだった。
未だお読みでないむきには強くお薦めしたい。

3冊目は精神科医師である宮地尚子の「傷を愛せるか」という大月書店から出ているエッセイ集。
Twitterで6年前知り合った大事なフォロワーさんに教えてもらった本で、毎晩寝る前に一章だけ、と決めて読み進めていった本。
とりわけ、私が感銘を受けたのは“人生の軌跡”という題のエッセイだった。人生は十字路じゃなくて細かいY字路の選択の連続なのではないかという優しい問いかけに頑ななこころがゆっくりゆっくり解けてゆく感覚。
今まで“あのとき○○しなければ”とか、”あのとき☓☓さんのせいでああならなければ”という鎖に繋がれてそれを解こう解こうと引っ張り続ける度に傷は醜く引攣れて見るもおぞましいものになっていたというのに。
あの夜読んだたった数ページにじわじわとではあるが救われることがあるということ。
それを、受け入れた自分がいたこと。
傷を愛せるか、という問いかけに、わたしは未だ
NO
と言わざるを得ないが、
それでも沢山のひとの小さな小さな美しい選択の連続がこの世界をつくってゆくのだと、信じたくなった本。
この本を教えてくれた、ないくんに感謝です。

くりかえそう。
傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当をし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。
傷を愛せないわたしを、あなたを、愛してみたい。
傷を愛せないあなたを、わたしを、愛してみたい。
「傷を愛せるか」宮地尚子 p.167より

今日は3冊読めた。
また、スピノザ先輩の(それをやさしく講義してくださる國分先生の)わけわからん講義に戻ります。

なんだか頭痛がするけど
風邪なのか
文字酔いなのか
わかりません。

みなさんも好い土曜日を。

•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶