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「七帝柔道記」を読んで〜自分が受け継ぐもの、繋ぐものとは?

以前ほど日本の小説も漫画も読まなくなっていますが、1年半ぶりの日本訪問となると流石にそれなりの冊数を購入します。書評ブログなどそれこそ何年も書いていませんが今回は何冊か響く本を入手したので思い立って投稿。

第一回の今回、自分語りも交えつつ紹介するのは「七帝柔道記」そして11年ぶりに刊行された「七帝柔道記II」。寝技を中心とした独自ルールで旧帝国大学7校の柔道部限定で戦う競技の世界を、北海道大学柔道部に1980年代終盤に在籍した作家増田俊也氏(Twitter/X: @MasudaToshinari) が自らの体験をほぼノンフィクションで描いています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%B8%9D%E6%9F%94%E9%81%93%E8%A8%98

既に何度も書いておりますが、僕は運動音痴だし、帰国子女拗らせて日本的上下関係や集団主義に馴染めず、フェミニストを気取ることはしませんが体育会系的男性優位主義・男性誇示主義・団体活動は否定し否定されてきました。

近年の便利な言葉を借りればただの陰キャコミュ障ぼっち(そして非モテ)の劣等感・コンプレックス・僻みかもしれませんが。

(それでもバリバリの体育会出身の友人がいるのは我ながら不思議)

そんなわけで中学・高校・大学と運動部はおろか組織化されたサークル活動からも脱落し、かといって勉強に励むわけでもなく帰宅部仲間となとなく集まったSF同人の小説評論と創作、8ミリ映画製作に携わりましたが、それも活動そのものというよりは気の合う仲間と過ごす時間が楽しかったから。結局同じメンバーでバンドもやったし今も日本行けば集まって周囲がドン引きするようなオタク語りしてます。

そんなヘタレな自分でも何がしかの集団行動で「燃えること・打ち込むこと・そして何かを受け継ぎ伝えていくこと」の素晴らしさは頭でも理解できるし、心にも響くものはあったりするのです。自分が起業に関わってきたのも部活などでそういうものに出会えなかった者の代償行為なのかもしれません。

しばらく前の訪日時に「七帝柔道記」を「お、木村政彦の伝記(これも滅法面白かったです)と同じ作者だ」購入して、自分とは全く無縁の世界でありながらそこに描かれた「ただひたすら柔道に打ち込む」部員たちと、先輩から後輩へ有言無言に伝えられる単に盲目的に「伝統」として従うものではないを超えた「七帝柔道という生き様」に(寝技だけに?)引き込まれました。作者の増田氏は僕より少し歳上の同世代なので作中描かれる時代風俗にノスタルジアを感じた、というのもあります。

同書は「この先の物語がある」ところで終わっていたので続きでないかと期待していたのですが、先々月日本に行くことになったときに訪日タイミング直前に「II」が11年ぶりに出ることを知り、日本のAmazonに持つ口座を久しぶりに立ち上げて購入した次第です。

そして先日読了。やはり面白かったです。一作目では新入部員だった主人公(作者自身)が先輩となってからの話ですが、これまた「まだまだ物語は終わっていない」ので読み終えるや否や早く3巻目が出ないかなあと思いながら「I」から読み直している次第です。

本書の中には主人公に対し先輩が「北大柔道部を繋ぐこと」を熱く語る場面が何度も出てくるのですが、それを読みながら思い出したのが割と体育会的カルチャーだった日本での最初の勤務先(銀行)の一年先輩のこと。

自分は当然ながら飲み会などで表面化する上下関係や業務と関係ない「お約束ごと」に馴染めなかったのですが、そこで良くその先輩に「お前はわかってない」と叱られ「何をわかってないと言うんですか」と声には出さないものの不遜な態度をとっていました。

まあ当然のことながら自分は長続きしませんでしたが、Tさんは今も同じ銀行におられ、合併やら何やらを乗り越えて経営中枢メンバーとして活躍しておられます。日本の組織で働く上で大切な「何か」を「わかっていた」この先輩、もちろん仕事の大変できる方でしたが、「受け継ぎ伝えること」に取り組んでいるのでしょう。

Tさん、その節は不遜な、かつ不肖の後輩でご迷惑おかけしました。僕はいまだに「わかっていない」ですが「わからないものはわからない」とだけははっきり言えるようにはなったかと思います。住む世界も文字通り異なってしまいましたが、どうかお元気で引き続きご活躍を。

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