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分岐点

人は人生の中で死ぬまでに何度分岐点に当たるんだろう。

自分の28年間というまだ短い人生の中でも、今ここが分岐なんだろうなと思った時が何度かあった。

高校に入学する時に、バスケの為に寮に入る決断をした時。
高校を卒業して、日本の大学には行かずにアメリカの大学に行こうと思った時。
大学を卒業して、会社に就職した時。
その入社した会社を辞めて、芸人になろうと思った時。

大きい事で言うとこの辺りが自分の中の分岐点に当たると思う。
ただ細かい事までいうなら、もっともっとある。そしてこの先も何度も起こると思う。

もし、自分のことを誰かに本にしてもらったら結構分厚くて面白いものが出来ると思う。
ただ、これは自分に限らず生きている人皆そうだと思う。だから伝記は読んでいて面白い。自分の友達の全員の本とか普通に読んでみたい。

「俺の人生薄っぺらいんだよね」って言葉を友達や知り合いが言っているのを聞いたことがある人は沢山いると思う。
だけど、人生が薄っぺらい人なんてこの世には絶対にいない。
みんな必ず何かしらの経験をして、その度に辛かったり嬉しかったり怒ったり、それを乗り越えて自分の人生を形成している。そんなに感情が動いて、毎日生きているだけですごいし偉い。
だから、人生が薄っぺらいなんてのは空論だと思う。
皆んなもっと自分自身を褒めて良い。

人生は選択の連続である
シェイクスピアがそう言ったらしい。
人間は毎日大きいことから小さいことまで1000個以上の決断をしていると。
意識はしていないのに毎日千個以上している決断があるなかで、特に意識して決断が必要という場面があるのは、自分の人生においてかなり重要な時なんだなと思う。
死ぬ間際の走馬灯ランキングに絶対に入ってくる場面だ。

走馬灯ランキングの何位かわからないけど、そこに入ってくるであろう分岐点に今立っている。
今すぐに決断できるわけがない分岐。

決断する時にはそれが正解だったのか、はたまた間違いだったのかはわからない。誰かに相談して、意見を聞こうが、必ず最後には自分で決めなくてはいけない。自分が生きていく人生のために。
分岐で違った方向に行ってしまっても、それは自分でその道を正解にしていくしかない。
逆に、最初から正解の方向にいけても自分で間違いにしてしまう場合もある。
だから、決断というのは難しい。

今立っているこの分岐も自分次第でどうにでもなる。
けど、自分は弱い人間だからこういう風に何かでわざわざ吐き出さないとスッキリできない。
自分の周りには、自分にはもったいないほどの素晴らしくて良い友達ばかりで、話もちゃんと聞いてくれるし、素晴らしい意見をくれるから、つい頼りたくなって話を聞いてもらいたくなってしまう。

ただ皆もこういう風に悩んだり、思ってることは絶対にあるはずなのに、人には見せないのが人間として強いなと思う。

俺も自分のことは自分で解決して、後悔しないような強い人間になりたいなって思う。

さぁて、この分岐どっちに行こうかな。

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