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言葉は生きている

言葉は生きている。
人に入り、考えたことや感情や体験が吸収し、出ていく。そんなことを繰り返し、言葉は力を得ていく。
人間が生み出したものが、もはや人間から離れ、生命体的に生きているのです。

だから言葉は本質を言い得ているようで、絶妙に言語の偏りとして、ずれていく。

建築は3次元。
絵画は2次元になりうる。油絵より水彩画の方が2次元に近い。
音楽は、時間の線の上で表現される1次元。
そうやって、要素が単純になっていく世界で、より本質に近づいていくものを現わすのでしょう。

言葉は織りなす糸かもしれません。
布の織り目の隙間に何が見えるのか?
生きている言葉の連なりの、行間に何が見えるのか?
そこには既に発している人でないものが、聞いている人だけでなくその言語を使ってきた人が介入してしまっているけれど、
本質がその隙間にやっと見えてくる。

花を描いているのではなく、花の存在に助けてもらって、そこに展開されている光が描かれている。
そんな植物全体生命体ディーバのような、言語の生命体存在がいるのかもしれません。
そう考えると、言葉より植物は偉大なのかもしれません。
言葉よりも本質の近くにいる。

言葉は生きている。
生きている言葉の助けを借りて、あなたの光をこの世界に発することができる。
発せられているのは言葉ではなく、あなた。
その居場所は、言葉ではなく、その隙間。
世界とあなたを言葉が繋げてくれているように感じます。

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