岸山直史

岸山直史

最近の記事

やりたくないことを除いたところに、やりたいことがある

自分のやりたいことが何なのか分からない、と言って身動き取れなくなっている人が結構いる。 でも、やりたいことって、案外やってみないと分からなかったりすると思うんだよね。 やってみたら思ってたの違うこともあるし、やる前には見えなかった、そのことの面白さに気づいたりもする。 よく考えたら分かると思うけど、 やったこともないことを、これがやりたいことだとか、自分に合っていることだとか、分からなくて当然だよね。 でも、やりたくないこと、は案外はっきりさせられるんじゃないかな。 あれ

    • ゆるすというのは、ゆるむこと

      心の水槽に穴が空いていたら水を入れることはできない。 まず最初にすべきことは、心の水槽の穴を塞ぐこと。 穴を塞ぐのに、環境が効果的だ。 環境につられて、自然と穴が塞がって、水を入れられることができるようになる。 汚れていたらきれいにして、雑然としていたら整える。 暮らしの中のいろいろなところに私の状況が現れている。 私の通り過ぎた生活のあとをよく見て、生活の音を聞いてみる。 そこにあなたが現れている。 私自身の現れだと思って、整える。 整えられた生活の跡や音につられて、

      • 真善美

        夢を見ているということは、既にそれだけで芸術家だということです。 起きているときのあなたは、善を担当していて、 眠っている時のあなたは、真実を担当していて、 夢を見ているときのあなたは、美を担当している。 起きていれば、善なのかといえばそうではない。 もしくは、善まで至らないとき、起きていないとも言えるかもしれない。 人の間。

        • 言葉は生きている

          言葉は生きている。 人に入り、考えたことや感情や体験が吸収し、出ていく。そんなことを繰り返し、言葉は力を得ていく。 人間が生み出したものが、もはや人間から離れ、生命体的に生きているのです。 だから言葉は本質を言い得ているようで、絶妙に言語の偏りとして、ずれていく。 建築は3次元。 絵画は2次元になりうる。油絵より水彩画の方が2次元に近い。 音楽は、時間の線の上で表現される1次元。 そうやって、要素が単純になっていく世界で、より本質に近づいていくものを現わすのでしょう。

        やりたくないことを除いたところに、やりたいことがある

          幸せを知覚するためには

          人間は光への憧れと、重さへの憧れがどちらもある。 充分に光の中で過ごすと、重さへの憧れが湧いてくる。 重さに捉えられて過ごしていると、意志を止め、光に溶けていきたくなる。 光の中にいるときは、光の中にいることを知覚できないし、 重さの中にいるときは、重さの中にいることを知覚できない。 知覚するためには、 繰り返すなかで、知覚を超えたところで気づいていくことが大切なのかもしれない。 しあわせも、同じように、幸せの中でしあわせを知覚することは難しいのかもしれない。 だから

          幸せを知覚するためには

          闇は世界を包む光と変わる

          思考は光、意志は闇。 光は過去でできている。闇は未来を指し示す。 意志は思考へと進化する。 私たちは過去に生きた存在から取り出された、思考の光の中に生きている。 人類がしてきたこと考えたり思ったりしたことが、共有のクラウドのように集合的智慧として結集していて、それと繋がってわれわれは生きている。 私たちの意志つまり闇(まだ発芽していない種と言ってもいいかもしれない)から発芽するものが、未来の世界を包む光となる。 私たち新たにすること考えること思うこと、これ 意志と呼ぼう

          闇は世界を包む光と変わる

          黄金の輝きを我がものとする秘訣

          色彩の本質として、その色独自の傾向性がある。 黄色は縁に向かって溶けて流れ去ろうとする。 黄色には精神の輝きがある。 この色を留め我がものにしようとするならば、重さを持たせなければならない。 精神に重さを持たせる。 黄色を金属化して重さを持たせる。 黄金の誕生です。 これは、黄金の輝きを我がものとする秘訣だと感じました。 放射してかすかになっていこうとする黄色を、金属化して金色にして重さを与えればよかったのです。

          黄金の輝きを我がものとする秘訣