母が救急車で運ばれた日

その日、私はYouTubeに投稿された「Mr.Children」さんのライブ動画を見ていました。

私の部屋は2階で、スマホで見ていたので、母がいる1階に降りて見てみたり、色々してました。
その後、ライブのクライマックスになったので自室に戻り、ライブは無事終了。幸せな気分に浸っていた私に祖父が大声で私を呼びました。

「大変だ。お母さん(私の母)が呼吸できないって!」

私は言葉を失いました。
多分ですが18年生きて、人生で初めて「言葉を失う」という経験だったと思います。

急いで1階に降りて母を見ると、母ははぁ...はぁ...と大きく、苦しそうに息をしていました。

私は平静を装いつつ、母に言われ保険証などを探しました。
救急車が到着し、母は祖母の同乗で運ばれ、祖父と私はその後を追って向かいました。
母が救急車に乗せられ、搬送先に連絡をしている間、私は涙を必死で堪えようとしました。しかし、到底堪えられるものではありませんでした。

私にとって、母は唯一の保護者です。
父は生まれた時からいませんでしたから。

搬送先に連絡が付き、「○○病院に行きます」と救急隊員の方から言われ、私達は救急車の後を追いました。その車の中で、私は祖父にバレないように泣いていました。(多分バレていたと思います。)

病院につき、母を搬送して頂いた救急隊員の方々にお礼をし私達は病院の中へ入りました。
祖母と合流し、救急室の外で私達は待っていたんですが、中では緊急事態と煽るような音がなっており、私は気が気で居られませんでし

その後1時間程でしょうか...中に通され、母の容態について説明がありました。母の病名は「うっ血性心不全」。それも重症。聞いた瞬間、私は怖くなってしまいました。心不全と言えば、死亡理由として挙げられやすいものだと認識しています。もう少し遅れたら命はなかったのかもしれない...そう考えると寒気がします。

先生からの説明の後、中から母が出てきました。呼吸は弱く、圧力をかけてもらっている状態でした。その後母はICUに運ばれ、私達は呼ばれるまで家族控え室で待っていました。

10分程たったあと、看護師さんから今後の入院についての説明と、当日だけ本人に合うことが出来る、ということだったので、ICUの中に入り、母のいる所へ向かいました。(コロナの影響もあり、翌日からは面会禁止との事でした。)

カーテンを開け、母を見た時、私は号泣してしまいました。呼吸のマスクを付けられ、弱々しく横になっていた母がいました。私は直ぐに母の手をギュッと握りしめました。その時の母の手の感触を忘れることはできません。母は私の手を強く握り返し、反対の手で私の頭を撫でてくれました。何度も何度も、撫でてくれました。少し落ち着き、母を見ると母は涙目になっていました。母も辛いのだろうなと感じ、私はそれ以上母の顔を見ることが出来ず、顔を伏せて泣いていました。

結局私は、母の病室を出るまで涙を抑えることができませんでした。
その後、私達は母のことを病院にお願いし、家に帰りました。帰りの車中、私は何度も涙してしまいました。
家に帰って寝る時、次の日など、何度も思い出したり、「もし、母に最悪なことが起こったら」と考えてしまい、何度も涙か溢れてしまいました。

翌日、入院中の荷物を母に預けようと病院に向かい、看護師さんに渡してもらうようにお願いし、ついでに母の容態に着いて聞くと、「圧力のマスクはもう取りました。機械で送る酸素の量も減ってきて、回復に向かっていますよ。」と言われ、私は安心しました。
帰りの車中、また少し涙を流してしまいました。多分、「良かった」という安心からくる涙だと思います。

今回、母が心不全に陥った原因

母はタバコを吸っていました、20歳頃から今までずっと...
私は今まで「タバコもうやめなよ」と何度も母に言いました。しかし、"強く"言うことはできませんでした。

タバコを吸う量は今までよりも格段に減っていたし、「タバコの量は結構減ったし、このまま徐々にタバコを辞めてくれれば大丈夫だろう。」と思ってしまっていました。
その油断が今回の事態を引き起こしてしまったのかなと思います。もっと強く言っておけば良かった...大きな後悔が私の不安感を煽ってきました。

私が今回感じたこと

私は、母が救急車で運ばれてからというもの、母のことをずっと考えてしまっています。
その中で、私が感じたことは、

・いつ会えなくなってしまうか分からない。今、家族や恋人、大切な人たちと一緒に居れる時間はかけがえのないものである。

・たばこは、人の命を奪っていく、恐ろしいものである。

・なんだかんだ母を避けていたりしても、結局は母や家族は大好きだった。

ということです。いつもは何気なく過ごしている日常も、1つ異変が起こるだけでかけがえのないものだったのだなと感じました。

今日、病院から連絡があり、ICUから一般病棟に移ったと連絡がありました。本当によかったです。
まだ退院したわけではありませんが、搬送してくれた救急隊員の方々、母を懸命な治療で助けてくれた医師の方々、私を悲しませまいと、笑顔で居てくれた皆さん、本当にありがとうございました。母の退院までは時間がかかりますが、先にお礼を言わせていただきます。