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「調和」という優しさで人は滅ぶ

ジャングルの中に一人でいるとして、

誰かが作ってくれた細い道を進むことは、環境に「調和」してるだけで自由じゃない。それは誰かが既に通った道であって、肉食獣が通る道でもあるから、結果的に自分を滅ぼす。

道なき道を自分で開拓しながら、危険を回避していくことが本質的な自由。自ら進む道を選択して、困難な道を進むことが結果的に自分を救う。


「進化」とは調和ではなく、自由になること。

私たち現代人が目指すべき進化は、
この「自ら選択する自由を持つこと」だと思う。


生き物たちは環境に「調和」していては滅ぶことを知っている。だからこそ環境に対して自由に生き、時に他の種を滅ぼしてでも生き残ってきた。

現代の人間はその逆。

私たちは生まれてからずっと、
環境に左右され、周りに試されてきた。

その中で、
自分では環境を変えられないと思って厳しい環境に「調和」していくことを学んだ。無意識のうちに。

調和が上手い人を「世渡り上手」なんて言いはじめた。

そして、
「自分で自由に選択すること」をしなくなった。

指示されたこと、誰かが言ってたことを、そのまま自分が「やりたいこと」として受け取るようになった。そのほうが楽だから。

絵画を見てすぐ解説文読んでしまったり、
上司からの指示待ちしてたり、
親から言われた通りに人生歩んだり、
世間一般で言われる「可愛い」人を好きになったり、

自分の意見は???

今の社会が圧倒的に、
「生き延びるのはマジョリティ(多数派)」になってるのもそう。

一見、
少数民族がマジョリティの住む都市環境に適応できずに滅びているように見えるけど、逆。

私たちはマジョリティであるが故に、
相互依存の関係が深くなりすぎて個々の能力が低い。一人では少し離れた目的地までも到着できない。

集団主義の中では特に、
他者に「調和」する方が楽で、生き残れると思ってしまう。自分の意見を押し付けて喧嘩になるより、自分を押し殺して周りに合わせる方が生きやすいと思ってしまう。

そうやって「調和」して優しさを振りまいてるうちに、お互いの感情を滅ぼし、人を滅ぼす。

少数民族がどんどん減っているのは、個々の人間の能力が低いからではなく、環境に適応できなかったからでもない。

マジョリティという大きな怪物に踏み潰されただけ。彼らは彼らなりの自然への「適応」の方法を兼ね備え、それで生きていけたのに。

少数民族が現代社会のシステムに溶け込んで生き延びたとして、それは「進化」じゃない。ただ「調和」しただけ。

3Gなんか古いから終わらせてガラケーを取り上げるとか。
電子決済とか進めて現金派を黙らせるとか。
レストランに注文用タブレットやQRコード置いて機械に弱い高齢者に嫌がらせするとか。

こんなんもそう。これは人間の本質的な「進化」じゃない。

自分で「考えることをしなくなった」現代人を「退化」とみなすなら、その逆の「自由になること」こそが、私たちにとっての「進化」ではないだろうか。

・付き合う人間
・「美」に対する価値観
・「善悪」への考え方
・自分が楽しいと思うこと

、、人によって違うのが当然。

私たち一人一人の、
今の人格、肉体、人間関係、言葉遣い、価値観、、全ては周りを取り巻く環境から生き残るために遺伝子が無意識のうちに取捨選択して残した集合体。遺伝子が完全に勝手にあなたを作ってるわけじゃない。

だからこそ、
環境自体を変えれば自分も変われる。

社会から押し付けられた「こうであるべき」姿を目指さないで、自分で環境も価値観も変えられることを意識して、自由に生きていくことが、結果的に自分という人間を「進化」させていくのではないだろうか。

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