【推し】青木真也(格闘技選手/文筆家)

「推し」がいると人生が潤うという事を聞く。日々仕事と育児と妻との軋轢で息苦しく生きている私は心の潤いを求めて誰か「推せる」人がいないか、音楽のアーティストやらかわいいアイドル、果てはアニメまで「推せ」そうなものを片っ端からDigってみた。が、継続してまで応援するような「推し」は見つからなかった。

いや、見つからなかったと言うより、30代も後半になって、これが俺の「推し」や!と言うのに照れがあり、胸を張って応援する事が恥ずかしかったのだ。

嗚呼、俺は人生に潤いを求められない性格なのか、このまま息苦しさを抱えたまま年老いて死んでいくのかと思っていたが、そんな私の前に現れた「推し」が同い年の格闘家「青木真也」であった。

青木真也に反応してこの記事を読むような方には細かい説明はいらないだろう。2000年代中盤から修斗、PRIDE、DREAMと国内の主要団体で活躍し、DREAMが崩壊した後は、ONE FC(現ONE Championship)と契約しライト級王者に2度なった日本を代表するMMAファイターでプロレスラー。極めの強さは40歳手前の今も世界トップクラス。本を3冊出していて(全部持っている)、近年はnoteやvoicyやPodcastで直接ファンに発信するマメな文筆家兼ラジオパーソナリティ。その発言・行動は他者に迎合しない。自分の"軸"に忠実な人(軸に忠実であろうと必死に生きている、と言えるのかもしれない)。

私の思春期は格闘技の最初の最盛期であり、石井館長時代のK-1やPRIDEが民放で放映されてウナギ登りの時代。自分は青木真也をPRIDEの末期に知って、変わった性格のやたら極めの強い選手という認識だった。DREAM時代に廣田の腕を折ったり、自演乙との試合で逃げ回ったあげく膝で沈められて他の格闘家から馬鹿にされたり、なんだかんだ目を話せない人ではあったが、その頃は青木真也には感情移入していなかった。
(当時はむしろ、北岡悟やら前田吉朗、菊田早苗率いるGRABAKA勢などを応援していた。パンクラスファンだったので・・・)

よって、DREAM崩壊後、青木真也がONEと契約し最初にライト級王者になった時も、王座陥落して連敗した時もニュースは追っていたが「ふーん」という感想しか持っていなかった。

そんな青木真也に対する印象が変わったのは、ONE championshipの日本上陸1回目の興行のメインの勝者マイクだった。

『35になって、家庭壊して、ひとりぼっちで好きな事やって、どうだお前ら羨ましいだろ』

青木真也は当時離婚調停中であり、家庭は崩壊していたらしく少し前に連敗もあったけど、結局自分自身の中にあった軸=格闘技が好きである事に立ち返ってコツコツ積み上げた事が結実した瞬間の、感情が爆発した素晴らしいマイクだった。

そしてそれは、当時タイに駐在してサラリーマンでそれなりにやれてるけれども、自分の軸が見えず、毎日になんとなく満足出来ていなかった自分に対しての強烈な問いとなった。『俺の軸は何なのか?』と。
その後買った青木真也の「ストロング本能」という本は自分の座右の書となっており、悩む時は読み返している(後に転職してよりレベルの高い環境に飛び込む決断をした時も、何度も読んだ)。

青木真也の本はどれも良くて、思考もそれを言語化するスキルも高い。最近はnoteでRIZINの解説やら与太話をしつつ、自身の思想信念主義主張の話や、試合のプロモーションまでやってしまう領域に来てしまっている。

特に今年の春のONE Xにおける秋山戦前のプロモーションと試合が終わるまでの流れは昨今の青木真也の活動・表現のひとつの到達点と思えるクオリティだった(予想を覆す敗戦という結果とその後のコメント含め)。

ただ自分で自分の内面や考えを形にしすぎてしまう事は、ファンの受け止め方の幅を狭めてしまうリスクもあると思う。青木真也はつねづね、自分の表現はハイコンテクスト、客は選ぶ、とコメントしているが、むしろやっている事は親切で、我々客にアングルを提示してくれてしまっている。

月並みだけど、表現は作り手の手を離れて受け手に届いた時に、どうとらえられるかは受け手にゆだねられる。今の青木真也の表現はtoo muchで逆にご本人の負担になっているのでは、と心配になる。もっと自分の客の質を、信じても良いのではないかなあ。と思う。

podcastで、青木真也についてnoteで書くというのが俺たちの宿題だったから僭越ながら思った事を書いてみた。
勝手にまだまだ青木真也と並走しながら生きていきたいと思っている。どうか健康とケガには気をつけて、表現者としてまだまだ突っ走って欲しいです。大好きです。