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自分の道

はじめての投稿で何を書こうか迷ったけど・・・。
まずは自己紹介を兼ねて、どんなを歩んできたのか書きたいと思う。

はじまりはクリスマス

昭和も終わりがそろそろ見えてきたころ、
12月25日、僕は生まれた。

しかもお昼に、12時に。

少し早く生まれればイブだったね、とか、
少し遅ければ平凡な日だったね、とかじゃなく。

ピンポイントでクリスマスに生まれた。

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人に誕生日を話すと必ず言われるのが、
「うわー覚えやすい日だね」
「え、なんか可哀そう、プレゼントって一つでしょ」
である。

正直恋人というものができるまで、
”クリスマスプレゼント"という概念を知らなかった。

そう、ご存知の通りプレゼントは一つだからである。

だから「クリスマスプレゼントはこれ欲しいなー♪」って
目を輝かせて言われたときに、
「(クリスマスプレゼントって何?)え?」って言った気がする。

明るく楽しい元気な子

小さい頃は本当に明るくて、元気な子だった。
泣き声は聞こえないほど小さかったらしいけど。

いとこの姉妹とは家族絡みの付き合いがあって、
当時流行ってた"クレヨンしんちゃん"のゾウさんの踊りを、
お風呂場で、全裸で、叔母に見せたりしてた。
うん、全裸で。

今では考えられない。笑

人を笑わせることが大好きで、
当時はボケることが多くて、将来はお笑い芸人になるって言ってた。
今は完全に突っ込み担当だけど。

人を嫌いになった大きな事件

人と話したり遊んだりするのが大好きで、
いつもニコニコしてて幸せそうって言われてた。
うん、大好きだった、人が。

そんな僕に大きな事件が起きる。
これが大人になった今の僕にも、大きな傷を残す。

小学4年生のとき、生まれの厚木から相模原に引っ越した。
当時は人と話すことが得意だったから、
恥ずかしがり屋ながらも、どんどん新しい友達を作っていった。

そんな新しい友達の中でも、気が合う大好きな友達ができた。

その友達を含め3人くらいだったかな。
学校が終わった後、自宅に招いて遊んでいた。

その当時母親はピアノの先生をやっていて、
自宅で教えていた。
その日もリビングで僕たちが遊んでいる間、
母親は別の部屋でピアノを教えていた。

そして遊びが終わり友達が帰る時間になった。
友達を見送った後、事件は起きた。

母親が「あれ、ピアノの月謝を入れていた袋がない」と言った。
部屋中探しても見つからなかった。
もちろん僕にも心当たりがない。

無事友達が帰ったかどうかの確認のため、
母親が皆のお母さんに電話すると・・・。

ある友達のお母さんに
「うちの子が知らない袋を持っています」と言われた。

そう、盗んでいたのだ、お金を。

当時警察沙汰になったかまでは覚えていないが、
家に友達とお母さんが集まり、事実関係を確認した。

結果、故意に盗んでいたことが発覚し、
家に呼んだ3人全員が知っていた、ということが分かった。

信じていた、大好きな友達。
お前も知っていたのか。
なんで止めなかった。

きっと子供だし、そんな勇気は無かったんだろう。
今ならそう思える。

けど、当時は本当にショックで。
裏切られた気持ちが強くて。

それから僕は人を信じなくなり、嫌いになった。

学生時代は常にバーサスモード

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中学時代は勉強が本当に嫌いで(今でも嫌い)
テストの直前だけ勉強していた。

人が嫌いモードもどんどん表に出ていき、
嫌いな先生とはとことん合わず、そんな先生の担当教科の成績は、
決まって2だった。(5段階評価)

結果、同じソフトテニス部の人たちのほとんどが、
学区内1位の高校に入ったのに対し、僕は2位の高校に進んだ。

ヤンキーがとても多く、全く自分の肌に合わない高校。

知人の親からは、
「あら、あなたの息子、よく2位の高校に入れたわね。」
「そんなに頭が良かったとは思わなかったわ。」
と僕の母親に嫌味を言う。

そこからだ。
僕がバーサスモードに切り替わったのは。

今に見てろ。
本気で勉強してやる。
嫌いな奴らみんな見返してやる。

そして気づけば、学区内1位の高校に行った、
ソフトテニス部の人たちより、
偏差値の高い大学に入れた。

うん、ここまでは良かった。
だってもう誰も嫌味を言わなくなったもん。
母親が嫌な思いをしなくなったもん。

けどここで重大な勘違いをしてしまったことに、
大人になってから気づくんです。

そう、人生は全て勝ち負け。
人を蹴落としてでも、勝てば良い。


あー。
この時からだ、僕が道を誤ったのは。

人は一人では生きられない

25790712-白地にカラフルな紙人の輪

大学に入ってからもバーサスモードは強まるばかり。
嫌いな人、苦手な人は、バッサバッサ縁を切っていく。

それはもう宮本武蔵も真っ青なくらいに。
剣の達人になっちゃう?てな具合に。

今の会社に入社してからも、
しばらくバーサスモードは続く。

同期はライバルだ、勝つんだ、と意気込み、
気づけば周りには誰もいなくなった。
※今、同期で連絡取れるのは一人くらい。。。

そして入社して5年くらい経って、
僕はうつ病にかかる。

原因は、疲労・人間関係。

そして休職中に感じたことがある。

孤独

誰も頼れない、誰にも話せない。
そんな孤独感が僕を支配していったのをよく覚えている。

その当時は一人暮らしをしていたので、
家のソファーに座っては、一人泣いていた。
死にたい、と心の底から思った。

けどその世界を作ったのは、自分なんだよね。
何でも切り捨てて、見栄を張って、勝ち負けにこだわって。

そんな自分を変えたい。
そう思ったのは30も超えたくらいの時かな。
けどなかなか変われなかった、簡単には。

じゃあ、今は?って聞かれると。
少し変わり始めている、ってところかな。

きっかけは意外にもTwitter。
人と繋がることが苦手、嫌いな僕が、去年から始めた。

すると本当に色んな人がいる。

職種も性別も国籍さえも不明だけど、
確かに生きている、そんな風に感じた。

この人の考え方面白いなと思い、
あるサロンに入ってみた。
オフ会でその人たちに会ってみた。

すると思いのほか、すんなり受け入れられた。
あ、人と繋がるって楽しいなって感じられた。

それに皆んな、きっと、本当は、
"さみしがりや"
そう見えた。

僕もきっと"さみしがりや"なんだと思う。
人は一人では生きていけないんだなと思う。

もう30も半ばだけど、
繋がりを大事にしていきたいな、
そう思うわけです。

にしても長い自己紹介だこと。


最後まで読んで頂いてありがとうございます!
これからは気が向いたときに、noteを書こうかなって思ってます。
読んで頂けると嬉しいです^^

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