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自分の当たり前は他の人の当たり前ではない!

幼稚園・保育園、小学校、中学校、高校、大学、社会人とごくごく平凡な階段を登り皆がやっているから自分もやっておこうという感覚で進んでいたために、自分の考え方・『一般常識』『当たり前』はすべての人の『当たり前』だと思い込んでしまうことがある。

小学校の頃と比べ、社会人となってから多くの人と話たり行動を共にすることが増える。
そこで改めて感じる。

違和感
自分の当たり前が通じない!

冷静に考えれば当然なのだ。
食べてきた物、教育環境、育った場所、時代。
皆違うのだ。
兄弟でさえ考え方が変わるのだ。

一つの例でいえば
私にとって食事の時間は皆で楽しくワイワイとするのが当たり前だ。
逆に静かに食事していると何か悪いことをしているかのように考えてしまいソワソワしてしまう。
そのため、話の話題はないかな必死になって探し場を盛り上げようとする。

逆に場を盛り上げてくれる人がいれば、聞き役になりこれでもかというくらいのリアクションをする。

食事の時の暗い空気が怖いのだ。

ただこれはあくまで私の『当たり前』
人によっては、静かに黙々と食事したいという人もいる。

押し付けるつもりは全くない。
必要なのは

お互いに『当たり前』を受け入れることだ!

簡単なようで簡単ではない。
まずは自分自身を受け入れることからではないだろうか。

これもまた難しい時がある。

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