見出し画像

苦手を克服

なぜかこれって、苦手だな。って想うことってないですか?

私は、自分の料理を振る舞う事にどこか抵抗がありました。

その要因は家庭環境でした。

私の母と姉は料理上手です。
私が幼い頃から、よく色んな物を作ってくれました。母は和食、洋食、中華、ケーキなどのお菓子全般、パン、うどん、など本当に何でも作っていました。
姉は、お菓子も作ったりしてましたが、私が学生時代には美味しそうな弁当を持たせてくれてました。よく友達に羨ましがられたものです。 

私は食べるのが好きなので、よく美味しい!美味しい!と言って食べていました。

私の嘘偽りない素直な顔を見て、母はとても喜び、また作ろう!と意欲を出します。そして私はまた美味しい!と言って食べる。

母も姉も作る人。
もう作る人はいらなかったのです。

私はいつしか、美味しく食べるポジションで固定されてました。



私は料理を振る舞う事に抵抗がありましたが、
お付き合いした彼に手料理を振る舞ったりしてた時はあります。

しかし、それは『しないといけない』と想っていた手料理でした。

美味しい様々な手料理を食べ続けた私には、
料理は美味しくないといけない、レパートリーは多くないといけない。など料理に対してのルールができてしまっていました。
まず自信がない。あんなにも私は達してない。

でも、きっとこの彼は“手料理が出来る彼女“でいて欲しいんだ。
そう想って、無理やり鼓舞して頑張って作っていました。


『頑張ってやる』ことは

期待に応えないといけない。
やらないといけない。  からくる、

自分の意志じゃない。
自分を犠牲にした料理をしていたのです。

やらなくていいなら、やりたくない。
あんな気持ちの負担のかかるような事、
やりたくない。
楽しくない。

だから料理は好きではありませんでした。




しかし、
作ってもいいし、食べてもいい。
やってもいいし、やらなくてもいい。
母や姉と同じでもいいし、違ってもいい。
どんな形でもいい。

そんな、料理に対してルールが自分の中で無くなりフラットな気持ちになった時。
ポン、と自分の中から湧き出てきたものは、、、


『あれ?料理って楽しいかも。』
『私自身の、独自の料理は楽しいかも』


私は、色々自分らしくアレンジしている時の料理は楽しく感じたのです。

それから、頑張らなくなりました。
純粋に楽しめるようになりました。
むしろ、なぜかやりたくなるのです。

好きになったのです。


食べる側でいないと、母は喜ばないと想っていた私。料理が好きになったことで、今は母とは料理という共通の趣味で、話が盛り上がります。

食べる側でいないといけない。
と想っていたのは、私の長い長い妄想だったのだろうか、、? 笑

私が作る側でも嬉しそうなのです。
というか、むしろそっちの方がすごく嬉しそう。

食べるだけが楽しみ。から
食べて、作って、話す楽しみへ。
自分の料理をする事で、一石三鳥にもなったのです。

こんなこと当時は考えもしていませんでした。
私が勝手に創っていたルールは、私自身を歩むことを止めさせる、足かせでしか無かったのです。


最近まで、料理を振る舞う事にどこか抵抗がありました。
それは、昔の想いがどこか蘇ってきてたから。
頑張って、無理していた時の料理を思い出すから。

なので、料理が好きなのを自覚した後は自分だけのための料理をしばらく続けていました。

そうすると、人にも手料理を食べてもらいたいなという気持ちが少しづつ出てきたのです。

少しづつ、自分の中から自然と湧き出る
“好き“が膨らんできています。



昨日はお友達2人と昼過ぎにお茶をしました。
作りたい衝動にかられた私は、パウンドケーキを朝からせっせと気持ちを込めて作りました。『人にあげるため』に。

渡すと、美味しいと言って喜んでくれました。
素直に嬉しい。

振る舞う事も楽しいものなのですね。



今度は誰に何を振る舞おうかな。
 好き が益々膨らみます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?