気持ちを整え、世界を広げて。

例えば、新しい美容院に行く時、
あなたは何を基準にして、行こう!
と決めますか? 

今度、私は初めての美容院を予約しました。


よくよくどういった基準で予約したか考えてみると、値段が良心的か?カットが上手いか?などはありましたが、結局は

『切ってくれる人が好印象か?』

それを、とても大切にしている自分がいました。
私の好印象の定義は、誠実さ、真面目さ、自分と話しが合うか、その時の時間を居心地よく過ごせるかどうかです。
それをホームページ上で、その方の写真、コメントの仕方、などを見て総合的にいいなと思った所に予約しました。
接触するなら尚更、異性なら尚更、そこは重要なポイントだったのです。

こういった様に、普段の人間関係でも
自分から観て、その人がどういう印象か?
を無意識に判断してるのではないでしょうか?

好印象なら関わりを持とうとします。
けど、苦手な人は極力関わりたくないと思います。
気づけば私も、職場内で苦手な人には関わりを持たない様に動いていました。でもそれは、気持ちの持ちようで関わり方に違いがある事にも気付きました。


 

自分の気持ちが整ってリラックスしている時は

『話しても話さなくてもどっちでもいいけど、
そういえば話してないなぁ』って感覚。

きちんと全体が観えていて、でもいつのまにか関わりを持たない事を選択しています。 
意図的に排除するのでは無くごく自然に。
 
この時は、その人も私の観る世界から存在しています。

気持ちが乱れている時は

『話すのもイヤ!見るのもイヤ!
   話しかけないで!』といった感覚。

そして、そればかりじゃなく下手すれば、好きな人とも関わりを持つのもめんどくさくなり、話さない方が楽だ。
と、自分の内に内に籠る習性がありました。
この時は、自分と他人の境界線をハッキリ創り、しかも、人の自分と違う部分や苦手な部分だけクローズアップして観て、避けようとしていました。
全体を観ず、狭い視野で苦手な一部だけを観て嫌がっているのです。
でも、気持ちに余裕が無く、頑張ろうとしても、
広く観ることが難しい、、、
その時は話し方もぎこちなく、言葉がでないので頭で考えて話そうとしている自分に気付きました。

私達の観る世界は気持ちで色々変わります。

人には、合う合わないは、必ずあります。
育ってきた環境や価値観が異なるので、
好きも、苦手もあって当たり前。
その人を観ての感じ方や、
感想は違って当たり前。

だけど、好きな人も、そうでない人も確実に同じ現実世界に存在します。
しっかり広い視野で世界を観れば、個人個人の心の世界にも確実に存在し、お互い適切な距離感で尊重した関わりを育むことができるのではないでしょうか?

自分が創る世界は、
自分で選択して創っています。

気持ちを感じ、

視野が狭くなってたら、気持ちを整え、

大きく、広くを意識して。

そしたら世界は広がります。

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